ALWAYS三丁目の夕日を見て

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20日の日曜表記の映画を見に行った。ご存知のようにビッグコミックオリジナルに連載中の西岸良平作「三丁目の夕日・夕焼けの詩」を題材として実写映画化したものである。時代設定を昭和33年としているからその頃を知る世代には楽しめよう。実際映画館へ行って見ると観客は私以上の世代の人が多くて若い人は少なかった。ちょっとピンと来ないかな。最近あちこちで昭和30年代の町並みを再現したアミューズメントゾーンが作られているが、映画での再現となると結構難しいらしい。そのころ建てられた建造物はもう少なく小道具も揃えにくいという。この映画ではその問題をVFXというハイテクを駆使して解決した。

原作では鈴木一平少年の視点で描かれているが、この映画では彼は主要人物ではあるが主人公ではない。その代わり駄菓子屋のオヤジ茶川龍之介の存在が重くなっている。彼の身の回りに降りかかる出来事が物語の軸になっていくのだ。それは彼の生活である売れない小説を書く傍ら駄菓子屋を営むという形態が大人の世界と子供の世界との接点として好都合だからだろう。そう、昔は大人の世界と子供の世界は明確に」区別されていた。子供は子供同士で群れ大人は大人だけで連帯していたのだ。だから子供が大人の世界を覗き込むのはタブーであり子ども自身それに罪な意識を抱いたものだ。子供たちだけで電車に乗って実の母親に会いに行きその家を探し当てる。しかしその家の主人にこう言われる。「坊やたち、大人がいないと言えばそれはいないということなんだよ」…。ねじ伏せるようなむちゃくちゃな理屈だが、子供に対してはそのような物言いで通じていた。その頃の大人が近所のよその子に対して叱り手をあげることは珍しいことではなかった。子供は大人を恐いと思い叱られれば引き下がった。

そんなところから腑に落ちない点がある
ヽ里にTVが珍しかった時代近所の人が一台のTVに寄り集まってプロレス中継を見ていた事実はあっただろう。しかしそこに子供が同席していたかは微妙である。子供は大人の付き合いから隔離されTVだってそうそう見せてもらえなかったのではないか。8時になったら「子供はもう寝なさい」と言われて退場であった。
建造中の東京タワーが間近に見えるから三丁目は港区かその周辺であろう。そこから子供たちが高円寺へ行くために品川駅前発飯田橋行きの都電に乗っているが当然それだけで高円寺までいけるはずがない。飯田橋から中央線にでも乗り換えたのだろうか。お金は足りただろうか、切符の買い方分っただろうか?

さて原作と違う点は他にもある。
一平の子役、母役の薬師丸ひろ子は適役だと思ったが父役の堤真一はちょっとミスキャストではないか。原作では細身の優男ぽいのだが堤ではどうも野卑な印象を受ける。自動車修理工場の社長ならこのほうがらしいかも知れないが、原作に忠実なら唐沢寿明あたりがいいのではないか。
六さんは原作では男の子なのになぜか女の子になっている。理由がよくわからない。その頃に自動車修理工になる女の子なんていなかったのではないか?堀北真希ちゃんかわいくていい演技をしているが、実際こんな可愛い子ならもっと他の就職先があっただろう。
宅間先生役の三浦友和、悪くはないが橋爪功でハマリではないかな。

VFXというのはCGとはまた違うのか?。まあそういった類のものでしょう。ここからは鉄ちゃんとしての観察。
〃暲っ罎療豕?織錙爾箸大通りの風景とかに使われたと思う。都電は現在も保存されている6152号を画像処理して番号を変えて何両にも分身させているな。
⊂緻遽悗貌??垢訃?。達僑横横温罅C6222号機なんてとうの昔に廃車になって現存していないし実写であるはずがない。どこかでこんなアングルの白黒写真見たことあるような気がする。古い写真をカラー化して動画にするなんてことも今は出来るのかな。
8鼎さ匱屬箸覆襪箸笋呂蠡膂羸酖監擦亮嵶召任垢諭今や映画撮影の必須アイテム。でももし青森行き「はつかり」のつもりならトラストトレインで保存しているスハフ43を使ったほうがよかったのでは。
昭和33年12月31日のことなら「はつかり」はデビュー間もないときである。くたびれた感じの客車はちょっと…。
 
結局最後は鉄道に行ってしまった。まあこのくらいにしておこう。決して懐古趣味ではなく家族で見ても楽しめる映画である。

追記:以前この書庫で原作の漫画も取り上げている。よろしければご覧下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/d19756236/4376830.html