2019-11-04 伊勢電気鉄道廃線跡歩き 続編 5月に伊勢電気鉄道廃線跡を津から雲出川北側まで歩いている。 連休中の鉄分補給 3 - awatembowの日記 今回はその続きとなるが辿り方は前回とは逆に南から北へと歩いた。したがって松阪から雲出川南側へと歩いた。 坂内川にかかる新松阪大橋付近 このあたりに新松阪駅が作られ松阪市内の中心駅として機能していた。戦争中この路線が一部廃止後も江戸橋からここまでは残存した。 三渡川北側堤防に残る橋台跡、水路を挟んで2つある。複線用の橋台であることがわかる。この川を渡る前後で路線跡は消失しているがこの橋台があることでその軌跡は推定できる。この北側は市営のポンプ場になっている。 線路後の道路が途切れ耕作地が広がるが少し先には道路の延長上に細長い雑木林がある。これも線路敷の跡とみられ雲出川堤防へと向かっている。 雑木林の北側あたりからかつての路線敷はゆるやかな勾配を描いて雲出川を越えていったとみられるがそれを裏付ける遺構が雲出川のたもとに残っている。小さな水路を超えるための橋台跡が農地の中に見つかった。 番外 遺構ではないがかつての路線跡の道路(近鉄道路と呼ばれる)がJR紀勢線名松線をオーバークロスするこ線橋に「国鉄こ線橋」の名が刻まれている。昭和56年竣工とあるからまだ国鉄が存在していた時のものだ。