30年前の写真2006・その3九州の国鉄気動車

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1976年3月の時点では長崎本線佐世保線日豊本線宮崎以南はまだ未電化。ましてや筑肥線電化などまだ先のこと、豊肥本線筑豊本線電化にいたってはJRになってからのこと。それから北九州地区には網の目のように張り巡らされた未電化ローカル線があった。というわけで九州内はDCやDLがまだまだ幅を利かせていた。さすがに10系はもう見られなくなっていたが、その他各種系列が見られた。この前年から普通型車両がいわゆる首都圏色と呼ばれる朱色一色への塗り替えが始まったが、九州ではまだ旧塗り分けのものばかりだった。写真はいくつか撮ったがその車両番号は控えていないので形式しか分からないことをご容赦ください。

 「ひので」「きぼう」などという修学旅行用電車が走っていた頃九州向けには58系の800番台という修学旅行用気動車が配置され道真公ゆかりの「とびうめ」という愛称が付けられた。塗り分けは普通の58系に準じているが色は修学旅行用電車と同じ朱と黄という変り種。すでに新幹線は博多まで全通していたので修学旅行も新幹線利用に変わっていった頃で、お役御免となった修学旅行用車両は各地のローカル用に余生を送った。筑豊本線勝野から筑前宮田までの宮田線という短い盲腸線があった。写真は直方駅で発車を待つ筑前宮田行き普通。キハ28800とキハ45の2連という面白い取り合わせ。1976年3月29日撮影

キハ20などこの頃は全国各地で見られた。わが地元奈良線でもよく走っていたが、バス窓の1次車は見なかった。珍しくて一枚撮った。後ろの車両もキハ20だがあちらは2次車のようだ。場所は高千穂線高千穂駅。それまで日之影止まりで日之影線と言っていたのが高千穂まで延伸され線名も変わって間もない頃である。駅舎も線路も真新しかった。民営化後高千穂鉄道となったこの路線、先年の豪雨のために線路が流失しいまだ不通のままである。当地もご多分に漏れず経営が苦しく復旧しても採算が見込めず、前途は流動的である。何とか復活してもらいたいものである。1976年4月2日撮影

第3セクター化の話が出たついでにもう一つ。国鉄時代に多額の費用をかけて電化にこぎつけた鹿児島本線八代~川内間は新幹線開通に伴って第3セクター化され肥薩オレンジ鉄道になった。せっかくの電化設備が生かされず気動車路線に逆戻り。不採算路線をいとも簡単に切り捨てかつて国費を投じて作った設備を使わないとはなんともったいない話であろう。往時の気動車の写真を見てそんな思いにさせられた。