30年前の写真2006・その4京都市電今出川白川線

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久々に地元京都のものを…

 

1970年代になってから他の都市に倣うかのように京都の市電も廃止が相次いだ。70年伏見線、72年四条・大宮・千本線、74年烏丸線。そして76年3月末をもって今出川・白川・丸太町の三線が廃止され、その所管である錦林車庫も廃止となった。廃止の迫った2月下旬のある日錦林車庫周辺を撮りに行った。この地区(左京区)は幼少の頃に住んでいたこともあって思い入れが強く名残惜しかった。錦林車庫の受け持ちは2、12、22の3系統でどれも子供の頃にはよく乗った。2番とか12番は四条河原町などの京都一の繁華街へ行く時に乗ったので「きょうはどこへ連れてってもらえるのだろう、何を買ってもらえるのだろう」と「よそ行き」の服を着てワクワクしながらロングシートを窓に向かって座っていたものだ。久しぶりに見に行って線路の継ぎ目で「ガッタンコン」という音を出したり坂で大きく揺れたりしているのがそのままだったのが妙に懐かしかった。小学校通学の時、道路際で友達と遊ぶ時、その横には市電が走っていた。そんな記憶の中にある市電がもうすぐこの目では見られなくなるのは私にとっての一時代の終焉だった。

 

①錦林車庫に止まっていた1666号。この車庫は外からでも見やすい上割りと間近まで立ち入ることができた。だからこんな写真も撮れた。すぐ横にある吉田山に登ると車庫の全景が一望できそれも見所だった。
大文字山を背に銀閣寺道~北白川間を走る12系統の1646号。

 

晩年の錦林車庫に集中配備されていた1600形はこの車庫の廃止に伴い全廃となった。他都市に拾われることもなく保存車もなく今はどこにも見られない。
この1976年3月31日はまた仙台市電が全廃となった日でもある。全国で抗するべくもないモータリゼーションのうねり。京都市電はこの後77年河原町七条線廃止そして78年9月30日で最後に残った路線もすべて姿を消した。日本最初の電車が走った京都なら古いものを残すだろうという期待もむなしく消えていった。やはり京都も140万を擁する大都市として姿を変えていく宿命なのか…。