30年前の写真2006・その8能勢電鉄

今日のニュースによると投資会社のプリヴェが阪急HDの発行株式の5.10%を取得して同社の筆頭株主になったことがわかった。昨秋の村上ファンドによる阪神電鉄株の買占めに続いて関西の私鉄企業が狙い撃ちされている。阪神にとってのタイガースと同様阪急の花形部門である宝塚歌劇団の上場を求めている模様。タイガースにしろ宝塚にしろ今でこそ全国的人気を浴び観客動員力も大きくなったので独立一企業体としてやってゆける体力はあるだろう。しかし以前は一地方の娯楽組織に過ぎなくて親会社におんぶに抱っこで面倒を見てもらっていた。はじめの時から苦しい時も悲しい時も手塩にかけ育ててきた親会社としては可愛さのあまり成長したわが子を手放す決断が鈍ることであろう。そんなところをハゲタカやコンドルがさらおうと狙っている。

 

さて阪急のグループ企業の中には能勢電気鉄道もある。阪急の100%子会社で上場していない。かつて妙見山への参拝鉄道として発足した同線は阪急傘下となって宅地化が進み、特に日生ニュータウンができてその通勤の足となってからは飛躍的に輸送力が増大した。ラッシュ時には阪急との直通列車も走り、川西能勢口は阪急とスルー乗換えできる高架駅となった。いまや阪急の一路線のようである。これを別会社としたままでいいだろうか。阪急に吸収合併させたほうが企業防衛面でも安全ではないだろうか。

 

ここに出す写真はそんな巨大化する前の能勢電の姿である。今は山下、日生ニュータウンまで完全複線化されてそちらが本線のようである。このころは複線は平野まででニュータウンもなく、その先は山間地でまだ単線の参拝路線の性格を残していた。能勢電は今でもそうだが、阪急の中古車両を走らせている。唯一自社製の車両が残っていた。川西能勢口から川西国鉄前まで一駅路線があった。その部分は朝夕数往復だけ専用の単行の電車が走っていて他の車両は入れなかった。それが51号である。昼の間は川西能勢口駅の片隅に留置されていた。それも1980年になくなった。

 

イメージ 1

①平野を出る妙見口行き普通514他4連

 

イメージ 2

川西能勢口の留置されていた51

 

1976年6月6日撮影