80年代の名鉄 ⑭岐阜市内線旧国鉄岐阜駅前1986

 

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国鉄時代の岐阜駅は県庁所在地で本線同士の分岐駅にしては駅ビルも2階建てのおとなしいものでした。駅ビル内も店舗がいくつかありましたがそれほど賑わってませんでした。名古屋方面へは名鉄を利用する乗客が多かったのでしょう。国鉄線は当時地平線を走っており駅東側で名鉄本線をアンダークロスしていました。それがJR化後は列車本数増加・高速化を図って近距離乗客の獲得に力をいれました。さらに1996年に岐阜駅周辺を高架化し翌年には岐阜駅自体も高架駅になりました。今は名鉄を跨いでいます。立場の逆転を象徴しているようです。

写真 当時名鉄岐阜市内線始発駅だった国鉄岐阜駅前停留所
ここから忠節・本揖斐行きと長良北町行きの2方向の電車が出ていました。でも乗り場は一面一本だけ、乗り場がわかるような案内や看板も見られず県庁所在地の駅前ターミナルとしては質素なつくりでした。それでも岐阜市内線の中では唯一ホームがあったということではましな方だったでしょう。前にも書いたように地元自治体が市内線の存在に好意的ではなかったためそんな扱いだったのでしょうか。

さらに2003年12月には駅前再開発による道路整備工事のため県からの要請をうけて岐阜駅前から新岐阜までは運行休止になりました。それは2005年3月までの期限付でしたがいち早く線路は撤去されその時には岐阜市内線そのものが廃止となり復旧することなく、事実上は一足先に廃止といったものでした。岐阜駅前に停車する長良北町行き。

1986.9.21撮