80年代の名鉄 21.三河線山線猿投~西中金

世界に名を轟かす自動車メーカートヨタ企業城下町というか企業が町を作ったというべき豊田市。市の中心部はトヨタやその関連企業の工場がひしめき合い工業都市そのものである。しかし市北部へ少し足を伸ばすと深山幽谷の秘境が残っている。名鉄三河線山線は大半が豊田市内を走っているがその北端部はそこまでの区間とは趣を異にしていた。もとより名鉄は電気鉄道であり全線電化路線だったのだが猿投から西中金の間は閑散線区として合理化のため1984年以降ワンマンDC運行となった。1時間に1本程度単行のレールバスが猿投で知立豊田市方面からの乗り継ぎ客を乗せて出発する。次の三河御船を過ぎると少しづつ上り坂になり猿投グリーンロードの下をくぐって枝下を過ぎ川沿いに出るとぐっとローカルムードが高まる。三河広瀬はハイキングコースの入り口駅、傍の川には魚釣りの簗場も近い。そして山が迫ってきてトンネルを抜け今にも落石のありそうな岩場の中を制限25km/hという止まりそうな速度で通り抜ける箇所もある。やがて視界が広がったと思ったら程なく終着駅西中金。ホーム一本の小さな無人駅(どうも名鉄の終着駅を書いた記事ではこの表現が常套句である)。小さな駅舎がありその周りに小さな店が数軒あるが他は何もない。この先もう一駅「東中金」まで延伸する予定で線路敷が造られておりたどることが出来るが、結局完成することはなく電車が走ることはなかった。そしてこの区間も一昨年3月に廃線になった。

 

①猿投での連絡風景。
イメージ 1

このころ三河線は通票閉塞方式だったようだ。タブレットを電車の運転士が持っているのとホーム柱にかけてあるのが見える。DC区間は全線完全単線でそれが一つの閉塞区間で一両がピストン運転していた。

 

②当時走っていたキハ10形。
イメージ 2

1995年にはやや大型のキハ30形に変えられた。西中金付近。今は名鉄気動車運行はなくなってしまい一応全線電化に戻ったが。

 

1989.4撮