JR飯田線豊川

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飯田線国鉄時代旧型国電の宝庫で多くの鉄道ファンが訪れていた。私も何度か乗りに行った。どれほど他の路線では放逐されていってもここや身延線は残ったので旧型国電は不滅だ思えたほどである。しかし1983年だったが119系という新車が入線してついに旧型国電も終焉を迎えた。新性能電車が入るにしてもまず大都市圏に新車を投入してそこで余剰になった車両を回すというやり方をするかと思っていたのでいきなり新車というのには少し驚いた。国鉄もやる気になればそのくらいのことはできるのだなと思わせた。でもこの車両交代で飯田線への関心はやや薄れた。

 

その119系、正面はその頃からあちこちの形式で使われるようになったパンダ窓の平面スタイルで面白みに欠けるが一方で飯田線向けに考えられている。飯田線は195kmにおよぶ長大支線で急カーブ、勾配が続き駅間距離は短い。先に登場した105系に倣って1M方式として短編成運用ができるようにした。3扉セミクロスシートで長距離客への居住性を考慮した。抑速ブレーキを装備した。そう思うとそれまで吊り掛け駆動の空気制動のみでよくあの線を走っていたなと改めて感心する。

 

登場当時スカイブルー一色だったのはJR化後もしばらく引き継がれた。天竜川の水の色のイメージだそうだが、他地区で同じ色は数多ありこの説明は牽強付会の感がある。今はJR東海のコーポレートカラーになった。豊川は豊川稲荷参拝の玄関口なので正月などは多くの乗客が訪れるので広い構内である。その中にポツンと2連で止まっているのは少し寂しい。昔は大きな駅ホームによくあった洗面台、最近めっきり見なくなった。夜行列車に揺られて降りてきた乗客が顔を洗うのに使ったものだが、はて豊川の場合夜行列車が到着したことがあったのか?

 

1988.8撮