近鉄伊賀線

伊賀線大阪線と接していながら軌間の違いから直通できず小世帯の支線に甘んじている。駅の多くは無人無改札、電車はワンマンであるためか他の線のようにスルット関西やJスルーカードが使えない。もちろん特急は走らず普通のみ、それも1時間に1~2本程度。JR伊賀上野大阪線伊賀神戸を結んでいるが通しの運行はなく上野市で分断されている。実際通しの客は少ない。近鉄としては客をJRに持っていくのは面白くなく自社線に運びたいであろうが、北部のほうが南部より乗降客数が多いというのは皮肉である。たぶんに近鉄のお荷物路線となっていることが伺える。行く先が案じられるところである。

 

ここは何回か乗っている。いついってもローカル色豊かな電車であった。その昔は伊賀電気鉄道から生え抜きのオリジナルの車両が走っていたが後には他線からのお下がりばかりになった。

 

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左は当線オリジナルのモニ5181形で右が名古屋線からきたモ5000形。モニという形式だが車端1/5ほどが手荷物室で残りは客室だった。手荷物室用扉もあり客室との仕切りもあったが特に荷物もなく自由に出入りできた。これがもうすぐ引退し横の5000と交代になるという時期だった。上野市で1977.3.24撮

 

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上野市の車庫に置かれるモ880形。京都線に走っていたモ800型4両編成を2連づつに分割し中間車に運転台をつけた。狭軌化に際し足回りを廃車になった南大阪線6800形のものと取り替えた。伊賀線には5年ほど走って1993年に引退した。1990.5.3撮

 

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今も走るモ860形。880形と同じく京都線用だったモ820形に南大阪線6800の足回りに振り替えて入線したもの。こちらは初めから2連だったので車体の改造はしなかった。最近は松本零士氏デザインのくの一忍者塗装になったものもある。この写真の車両前面窓回り、白の縁取りがない。伊賀神戸で1994.8.16撮

 

ところで30年くらい前に伊賀上野を舞台とした栗原小巻真野響子出演の「忍ぶ糸」という映画があった。その映画のラストシーンで伊賀上野を出発する伊賀線の電車が映るのだが、その車両がどう見ても4扉の新性能車だったように思う。狭軌なら南大阪線の6000系列ということになる。その頃の伊賀線は上記のようにモニ5181のような古風な車両しかなかったはずだが、映画撮影のためにわざわざ持ってきたのだろうか? あるいは私の単なる記憶違い? そのことが今になるまで疑問が解けず、ず~っと気になっている。その方面に詳しい方、お分かりでしたら教えてください!