近鉄養老線放浪記

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伊賀線の次は養老線です。ここも広軌名古屋線に接していながら狭軌のため直通できない独立した支線です。もとは名古屋線狭軌だったのでその頃は直通もあったようですが、伊勢湾台風名古屋線は改軌されたのに対して養老線国鉄と直通する貨物輸送があったため狭軌のままで残りました。この付近は石灰石がよく取れたので貨物輸送の需要が大きく旅客輸送より重要視されていたこともあったのです。しかし道路網の発達でトラックにとって変わられ養老線の貨物輸送は廃止されました。今は2両か3両のワンマンの普通電車が走るのみです。今はどこでも見られる4扉の標準車体ばかりですがかつては伊賀線と同様封じ込め運行の支線にはちょっと面白い車両が入っていたものです。
ここはあまり乗る機会に恵まれなかった。全線通して乗ったのは一度きりです。29年前の8月のことでした。岐阜から名鉄揖斐線で本揖斐まで乗りバスで近鉄揖斐まで出てそこから縦断してみました。

一気に全線踏破というのも面白くないので養老で降りて観光しさらに美濃山崎で降りてそこから近い行基寺というYHに泊まることにしました。お寺の一部をYHにしているようですがもしかしたら隠れた観光スポットかもしれないと期待しました。でも降りた美濃山崎は何もないところでした。持っていたガイドブックの地図では駅から近そうに書かれていたけどどのへんなのか見当がつきません。道で出会ったおじさんに行基寺はどこか聞いてみたら少し驚いたような顔をされて「この山の上だよ」とそばの山を指差して登り口を教えてくれました。ゲッ、もう日が暮れかかっているのにこれから山道を登って行くのかよ!。クルマも通れる舗装道だけど木立ばかりの中をうねうねと坂道が続いています。エッチラオッチラ40分ほど歩いてやっとたどり着きました。もう日がとっぷり暮れていました。山姥でも出てきたらどうしようと思って入っていくと10歳くらいのかわいい女の子が出てきて「ちょっと待ってて下さい」といって中に入っていき変わってその母親らしい女性が出てきました。「いらっしゃい、どうぞ」と迎え入れてくれました。部屋で荷を解き程なく夕食。先ほどの母子ともう一人の子そしてご主人らしき男性がいてさらに今日の同宿者の静岡から自転車で来たというお兄さんとともによばれました。ご主人がこの寺の住職でYHのペアレントだったのです。ごく普通の家庭の人たちでお寺っポさがなくて意外だった。食事は何だったか忘れたが普通の食事でした。食後はなにもすることがない。同宿者君とそれぞれの旅行体験などを話して過ごしました。山の上は涼しくよく眠れました。

翌朝また山道を歩いて降りていかなければならないのです。電車のくる時間を見越してその45分ほど前に出発しました。途中で自転車に乗った同宿者君が「お先に」と声をかけてスイスイと追い抜いていきました。駅はまだ先だ、今日も朝から暑いわ…。
着いた美濃山崎では列車の交換。双方の電車を撮って桑名行きに乗りました。この先762mmゲージの北勢線や内部線にも乗るのだがそれはまた次の記事で…。
1977.8.23撮