貝島炭鉱専用線

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1976年春の九州旅行の前にすでに九州の国鉄線上からはSLは姿を消していたが、いやまだSLが走っているところがあるぞと噂を耳にした。半信半疑だったが九州へ着いてまず行ってみることにした。それは筑豊炭田の主要な一角であった貝島炭鉱へ向う貨物専用の引込み線である。平成元年に廃止されているが筑豊本線直方の一つ先勝野からかつて宮田線という短い支線があった。この支線の終点筑前宮田からその専用線が出ているという。じつはこの宮田線は使わず博多発の宮田町行き国鉄バスに乗っていった。バスターミナルに降りて暫く行ったところに走っていたいた。機関車も貨車も国鉄からの借り物・譲受ではなく独自のものであった。かなり年代もののようなドイツ・コッペル製のタンク機が石炭をのせた貨車数両を引いて入換しながら走っていた。しかも機関車は外国製、ドイツ製とともにアメリカ製の水タンクが前に張り出したタイプのタンク機も走っていた。それも撮ったはずだったのだが残念ながらピンぼけだった。それでもこれらのものが保存でなく産業用の現役で走っているというのを目の当たりにして衝撃を受けた。日本の産業構造はすでに石炭から石油に移っていた。筑豊もこの10年くらい前から閉山が相次いでいて貝島にしても最後のヤマだけで操業しているのに過ぎなかった。その最後のヤマもこの年の8月に閉山し専用線も運命を共にした。結局訪れたのは廃止5ヶ月前のこととなった。廃止のときは何事も催されず静かに消えていったそうな。車両の一部は現在宮田町の石炭記念館に保存されている由。産業構造の転換の岐路に立たされた宮田町は企業誘致を図り今はトヨタ東芝の工場が出来ている。帰りは国鉄宮田線に乗った。1976.3.29撮