片町線上田辺・同じ場所での光景

片町線上田辺駅といっても今ではピンと来ない方が多いでしょう。路線の正式名称として「片町線」という名前は残ってますが、最近そう呼ぶ人は少なくなりました。片町という駅がなくなってしまったんですから。

  学研都市線JR三山木駅

今はそう呼ぶのが一般的です。呼び名もさることながら駅の建物、車両、周囲の環境、何から何までこれほど変わった例も少ないと思います。

 


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1977年3月近鉄伊賀線を見た帰り国鉄関西線に乗ったが木津からなぜか片町線に乗り換え上田辺で再び近鉄に乗っている。当時片町線の木津~長尾間といえば未電化で単行の気動車が2時間に一本程度細々と走っていたに過ぎない。多分木津で割りと接続がよくて乗ってみる気になったのだろう。降りて撮ったのがこの写真。見渡す限り農村風景が広がる中にホーム1本の無人駅。駅は府道と交差する地点の北側にあった。

 


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JRになってからも暫く未電化だったがやっと1989年に全線電化されて4連の電車が走るようになりこの区間の本数も増えた。この近くに同志社大学が移転してきて厚生年金保養施設もでき人の往来が増えた。だが上田辺の駅には大きな変化はない。この写真は1997年2月16日のものである。翌月にはJR東西線が開業しそれに伴って駅名がJR三山木に変わることになる。改称1ヶ月前の姿である。なおこの年の4月から所在地である綴喜郡田辺町は京田辺市になった。

 

以下は昨日5月27日に撮りに行った現在の姿。

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改称後も暫く旧上田辺のままだったが入り口に小さな上屋が付いた頃もあった(左肩)。が沿線の発展に伴って輸送力増強が急務となりこの駅も大きな変貌を求められる。2002年3月16日連続立体化と交換設備のある高架駅への改築工事が完成した。その際駅は府道との交差の南側へと移設される。③はかつて駅があったあたりを下から見たところ。跡は何もない。

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現在のJR三山木駅。行き違いが出来、券売機も設置されているが普段は無人駅のままである。

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駅に入ってホームに上がり北端からかつて駅のあったあたりを見通した。高架で構内複線となりまったく面影はないが左側の線路が元の線路に近い。先で大きく左カーブしているのでこことうかがわせる。

 

今回は車両がなくてすみません。