そして大川支線

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目指したのは当然大川支線。当時すでに貴重だった17m級国電クモハ12052を見に行った。だがここはJR化後も首都圏最後の旧型国電として1996年まで生き残った。それというのも武蔵白石のホームが急カーブで17m車しか入れなかったからだった。曲がったホームにそのごつごつした鉄塊が停まっていた。全く円弧を描いた様なホームで車体中央部があたりそうだった。ホームの柱に「出発はよいか」と書かれていた。はあ、よろしゅうございます…。今はこの区間昼間は走っていないようだが記憶では真昼間に乗っている。当時は昼間いくらお客がなくても走っていたのだろう。私のほかに乗客もう一人。そして、車掌が乗っている(国鉄でその頃には当たり前のことだった)。ドアがゴロゴロと閉まりゴオーンという音と共に発車。この車両は片運のクモハ11を両運化したもので増設された大川側の運転室は半室式で貫通扉から前方が見渡せた。それが引き戸だったのがいかにも改造車らしい。たった1km、2分で到着。工場の間に立つ小さな駅。掘立て小屋のような駅舎が建っていた。朝夕はこれで工場への通勤客を捌ききれるのだろうか。