京都市電・下鴨本通

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もひとつ京都市電である。下鴨本通といっても京都以外の人にはピンとこないだろう。河原町通にも市電が走っていた。それで北大路通洛北高校前から南下して京都駅に至る路線を一般に河原町線と呼んでいた。しかし実は洛北高校前から葵橋西詰までは河原町通ではなく下鴨本通とされていて両者はまっすぐ繋がっていない。本来この二つの通は繋がっていなかったのだが戦後市電を通すに当たって葵橋を掛けて初めて結ばれたのだ。葵橋は斜めに流れる賀茂川を渡るため道を曲げざるを得なかった。このように京都の道は決して碁盤の目ではない。上記のように葵橋は当初市電の専用橋だったのがいつからか併用化され、そしてやがて市電は廃止されるのである。庇を貸して母屋を取られたようなもの。
下鴨本通にある旧跡といえば言うまでもなく下鴨神社である。毎年5月15日には葵祭りの行列がこの通を練り歩く。さてここには烏丸車庫受け持ちの系統5番、13番あるいはこの写真のような臨時系統が運行されていた。最新鋭の2000形は総勢6両で配属されていたのは烏丸車庫だけだった。その上この線の系統に使われることは少なかったように記憶する。だから乗り合わせたことがあまりない。市電の写真は大半が1800か1900で2000を撮ったのはコレの他1枚しかなかった。今松山へ行けばこの姿まだ見られる。
洛北高校前でNo.1858
下鴨神社前でNo.2005
いずれも後追いなのがイマイチ。1977.9.11撮。
さて河原町通とはどこからなのだろうか。賀茂川を渡った下手の葵橋西詰からとされるが一部の地図では葵橋西詰から河原町今出川交差点までは出町通となっている。となると交差点以南ということになるがそのように定義された文献をまだ見ていない。うーむ京都検定の問題にできそう。