国鉄尼崎港支線跡を探訪して

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以前に30年前に乗った国鉄尼崎港支線のことを書いている。
国鉄尼崎港支線 - awatembowの日記 (hatenadiary.com)
それから30年、廃止されてからも20年以上経っている。どうなっているか先日見に行ってきた。

 

出発点はあの事故現場である。今は人気もなく何事もなかったように列車は通り過ぎてゆく。だがマンションには住人の姿はなくよく見ると建物のピロティ―部分の壁は傷跡が残されている。また線路際には今も献花台が作られており、2人のガードマンが見守っている。さすがにここで写真を撮ることはためらわれた。ここから尼崎港へ行く線路は延びていたのだ。青果市場の横に細い空き地がありこれが路線跡とわかる。回り道してその下手へ行き起点に向けて写真を撮った(①)。後方やや左手に例のマンションが見える。
このあたりは再開発工事中で線路跡を歩くことはできない。尼崎駅のあったところは跡形なく更地になっていた。東海道線を渡ってもかつて築堤だったところは切削されて平地になっていた。しかし一つだけ人道を渡る小さな橋脚が残っている(②)。だがこれもそう遠くなく取り壊されるだろう。
築堤だった部分はそのような状態だったが平坦部だったところはすでに宅地化されていた。周辺の家に比べその部分の家だけが比較的新しい建物である。道が交差して少し広くなったところに廃線跡を利用した小さな緑地帯が作られている。その地盤を見ると線路を模してあり一端には車止めも置いてある(③)。子供達がここで電車ごっこをするのだろうが本当に列車が走っていたことなど知る子はいるまい。
そこからもう少し下がったところは空き地になっていて駐車場として使われている。位置関係からみるとここが金楽寺駅跡らしい(④)。右手の民家は何か見覚えあるような…。傍に立っている木もその昔を覚えているのだろうか。
その後市道にしばらく並行するがこの辺もすでに民家が並んでいる。国道2号線はアンダークロスしていたがその坑道は見当たらなかった。それを越えて阪神大物駅までも民家の並びとなっている。そこからは工業地帯の一角で跡地は倉庫や資材置き場にされている。やがて国道43号線をくぐり路線存在時にはできてなかった阪神高速神戸線の下へと入る。ここが終点尼崎港駅とそのヤードのあったところなのだが、面影は全くなくガード下で薄暗かった。一帯は日通のトラックターミナルになっているがその営業所の建物は確か昔駅に隣接して建っていたものだ(⑤)。3階建ての建物が高速道路の高架下にすっぽり覆われてしまった。そして用地内で面白い看板を発見(⑥)。尼崎港駅長だって!?

 

今回も帰りは阪神に乗った。今は特急も止まる様になりJRでは新快速が止まる。やがて近鉄奈良に向う電車が走り、JRではすでに木津まで行く電車がやってくる。30年で尼崎は鉄道の要所となり大きく変わった。実に30年ぶりの訪問だったがそれだけの年月が経ったことを実感させられた。