旧東舞鶴駅と小浜色58系DC

国鉄がJR化されてから京都府下の駅がずい分建て替えられたと思う。京都駅などはその最たるものだし宇治や加茂も立派になった。北へ向かえば二条や花園も高架の新しい駅舎になった。最近では福知山も変わった。そして大きく変わったといえば地上駅だった東舞鶴駅も高架化された。明治37年にできたこの駅、戦前は軍港に近く貴賓室もあったという。そして軍需上からまた戦後は外地からの復員輸送のため各地からの列車が発着した。また軍港への引込み線として中舞鶴線が分岐していた。そのため構内は非常に広くいくつもの留置線があり、常に気動車ディーゼル機関車が止まっているのが見られた。駅舎は昔の学校の校舎みたいだしホームの上屋は古めかしくて時代がかっていた。同じ舞鶴にあるレンガ立ての旧軍舎ともども歴史を感じさせる建造物だった。また小浜線舞鶴線との接点でもあったので乗換駅であり長距離の急行列車が通っていた。とはいえ長い間未電化のまま残されてきたので気動車ばかりだったが。急行がなくなっても58系気動車がローカルに長く使われていた。そんな状況が一変したのは1996年に高架化、1999年に舞鶴線電化されてからだ。広い構内は高架駅になって島式ホーム一本になった。かつての留置線はビルや商業施設が建った。機能的には今も特急を含めた多くの列車が始発しているが、駅構造としてはこじんまりしてただの中間駅の様相になった。気動車は一掃されて電車ばかりになった。国鉄時代に考えられなかったことである。昔は構内の広さが駅の風格を示していたが現在は周辺の利便性がそれを決めるのだということを物語る一つの例だと思う。
①というわけで、未電化地上駅時代のの東舞鶴駅です。
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舞鶴線から58の2連に揺られて着きました。
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隣には小浜線のやはり58が止まってました。

 


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この時代に2回乗っているのですが舞鶴線国鉄急行色、小浜線は小浜色と使い分けられていたようです。急行色ですが内部はワンマン対応化され1位扉部の仕切り撤去と料金収納箱設置、車内の一部ロングシート化などの改造がされていました。

 

①②1993.1.24 ③1994。4,25撮