城崎にて

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山手線の電車にはねられて怪我をした。其後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。……兎に角要心は肝要だからといはれて、それで来た。……

志賀直哉の代表作「城崎にて」はこのような出だしで始まる。私は中学のとき国語で習った記憶がある。そのとき何より不可解だったのは電車にはねられてよく命を落とさなかったなと言うことだった。これは大正2年の出来事を記した私小説である。山手線に電車が走るようになったのは明治の終わりで、当時木造でポールの電車が1両か2両でのんびり走っていた程度である。それでも真正面からはねられてはひとたまりもないだろう。作品を読むだけではその傷害がどれほどだったのか不明だが養生したとしても何らかの障害が残るのは免れまい。しかし志賀の年表を見てもそんなことは書かれていない。そもそも城崎の町を散歩し宿で小説をしたためるほどなら大怪我と言うほどではなかったのではないか。思うに最初の一文「山手線の電車にはねられて怪我をした」にリズム性を持たせるには「はねられて」でないと5音ずつの文節にならないというような理由ではないだろうか。
屋根の蜂や川原の鼠などの死ばかりに目が行ったりしていてこの小説全体の印象は暗くて読んでいて気が重くなった。さらにはせせらぎにいるイモリを驚かせるつもりで石を投げたら当たってしまいこれまた死んでしまった(イモリにしては敏捷でないような気がするが)。電車に当たった自分というのはこんな姿だったのかとイモリを通じて再確認したのかもしれない。これらの動物達の死に様を見て生死の狭間の運命というものに感じ入ったのだろうか。しかし死なせる気はなかったとしても結果として自分が殺生したことをあまり深く思った様子はない。城崎は当時から歓楽地であったしそのような晴れがましい場所でそんな重苦しいことばかり考えていたのだろうか。志賀自身「玉突き屋」(ビリヤード?)に行ったとも描いている。決して気分の閉塞があったとは思えない。養生に来たならもう少し明るい気分になれなければ治る病気も治らないですよ。
最後に現在城崎に走っている電車の写真を出しておきましょう。間違ってもこれらの列車にはねられたらいけませんよ。特急北近畿は時速120㎞でぶっ飛ばします。小説を書くどころでなく五体バラバラです。
特急北近畿と浜坂行き普通の並び。2006年10月10日撮