四国旅行で思い出した旅情

イメージ 1

今回フェリーを使って四国回遊をしてきたが、はるか昔同じようなことをしている。時は1972年3月、山陽新幹線岡山開業の少し前のことである。中3のとき休校日を利用して一人で出かけた。ここに交通公社時刻表1970年10月号がある。1972年でもこれとほぼ同様なスジ立てだったと思うのでこれを参考にお話する。そのときの記録は全く残っておらず私の記憶だけの記述であることをお許し願いたい。

 

これによると京都21時29分発の宇野行き普通という列車がある。3月1日に乗ってみたら旧型客車の普通車ばかり10両ほど連結したものだった。車内は空いていた。1ボックスに一人で陣取る。大阪からいくらか客が乗ってきて私の席の向かいにも少し酔いの回ったおじさんが乗ってきた。何やかや私に話し掛けてきた。しかし大将上機嫌で加古川で降りていった。その後は私のボックスには誰も乗り合わせなかった。少し離れたボックスに座っている大学生らしき2人の男性、延々と毛沢東の革命理論のことを話し合っていた。宇野着3時、ここで宇高連絡船に乗り換え。宇野発3時20分、4時25分高松着。

 

高松発4時55分の急行あしずり1号に乗る。まだ暗いがこの時間から四国各方面に行く列車が出発し高松駅は賑わっている。5時40分琴平着。朝から金毘羅さんをお参りする。参拝から戻ってくると明るくなっていた。ここから琴電に乗る。おあつらえ向きに栗林公園屋島観光をセットにした回遊券を売っていたのでそれを買ってその後回った。琴電に乗ったのだがその間の記憶がない。多分車内でずっと寝ていたのだろう。屋島にはケーブルカーが走っていてそれに乗った。ここで昼食を食べた。

 

屋島から高松築港に戻る。高松発16時3分の連絡船に乗り宇野着17時8分。17時26分東京行き夜行急行瀬戸1号に乗車した。普通車指定席だったがこれもまた旧型客車のままだった。しかし3月15日の改正を機に特急格上げになるため、瀬戸/出雲のために新製した14系寝台客車が試験的に併結され供用されていた。その時期の併結の写真があれば貴重な記録だったのだが。食堂車もついていたので一人で夕食を食べた。21時35分京都着。270㎞ほどの距離を5時間半かかった。ちなみに現在高松16時13分発に乗って岡山で新幹線に乗り換えれば18時26分に京都につく。岡山からも普通ばかりに乗っても20時29分に京都に着く。昔はゆっくりしていたものだと思い返すが宇野から京都まで乗り換えなしで走る列車があって便利だったのでないだろうか。3月15日のダイヤ改正により山陽新幹線が岡山まで走り、その反動で宇野行き夜行普通をはじめうずしお、鷲羽などの優等列車が姿を消した。

 

写真は記事本文とは関係ありません。