名鉄三河線両端2004

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三河線は北は西中金南は吉良吉田まで愛知県を縦断していた路線である。もっとも全線を直通する列車はなく、本線と接続する知立で運行体系は通称山線と海線に分けられていた。さらにそれぞれ末端部では非電化になっていて猿投、碧南で電車⇔気動車に乗り換える必要があった。もともとは全て電化されていたのだが1990年に乗客数の少ない部分は非電化営業となったのである。その南北の非電化部分が合理化の努力も報われず2004年3月末で廃止になった。
つくづく名鉄は良くここまで線路を引いたなというところまで路線網があったと思う。この三河線も特に山線北端はそんな路線だった。営業区間はすべて自動車で有名な豊田市内を走っているが、およそ工業都市のイメージからは離れた峡谷の合間を通っていた。三河廣瀬付近では岩場の切りとおし部分で制限25㎞/hと言う場所があった。動物が列車を止めることもあったとか。終点西中金は小さな無人駅だった。当初はこの先延伸の計画もあったが実現せず幻と消えた。
海線は比較的平坦なところを走っていて開けていた。どうしてそんなに閑散としているのかと思ったが並行してよい自動車道路が出来て鉄道を利用する人はいなかった。地図を見ると三河線は碧南を出ると市内を大きく迂回し半円を描いてから東へ進んでいた。そこを道路は一直線に進む。山間でも平坦でも鉄道の立つ瀬のないやるせなさ、三河線の南北がそのことを象徴していた。碧南~吉良吉田の線が失われ海線は盲腸線となった。
ここだけで走っていた気動車キハ30型はお役御免となり遠くミャンマーの地へと旅立った。

 

①山線西中金で
②山線三河御船で
③海線三河旭で
④海線吉良吉田で
いずれも2004.3.20撮(廃止の11日前)