1972年当時は紀勢本線は全く未電化で阪和線との格差が大きかった。否、紀勢本線ばかりでなく全国各地の主要幹線は未電化のところが多くて特急といってもまだDCが幅を利かせていた。82系DC特急は関西発のものだけでも「くろしお」のほか「白鳥」「かもめ」「まつかぜ」「あさしお」などが各地に向けて走っていた。「くろしお」は現在のように頻発していたわけではなくユ○ケ○黄帝液と同じく1日1本であって天王寺から紀勢線をぐるりと回って名古屋まで走っていた。それ以外の優等列車はほとんどがDC急行「きのくに」だった。それだけに速度こそ速くなかったが風格という物を感じさせる特急であった。
②南部付近

どちらも1972年3.27撮