蔵出し写真・80系DC特急白鳥

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まつかぜやかもめを見送った後に来るのは青森行き白鳥だった。大阪~青森間1000㎞以上を15時間かけて走る最長の気動車特急だった。当時はまだ湖西線がなくて米原周りだったからなお時間がかかっていた。この時点で羽越本線が未電化だったので気動車で残ってきたのだがその年10月にそこも電化され白鳥は電車化されることが決まっていた。これも名残を惜しんでの撮影。デビュー当時の白鳥は青森行き編成と信越周りの上野行き編成とが直江津まで併結されていたのだがこの頃はすでに青森行きのみとなっていた。大阪から青森まで通しで乗る人がいたのかと思われそうだが、この列車は北海道連絡列車で0時前に青森に着くと1番の連絡船に接続しさらに函館で特急おおぞらに乗り換えれば翌朝9時に札幌へ着いた。82系づくしである。飛行機は贅沢な乗り物で、官民とも北海道への出張旅費の算定は鉄道運賃によっていた。まだ鉄道利用が多数派だったのである。飛行き利用が通常となった今、トワイライトやカシオペアなどの鉄道利用が逆に贅沢な位置付けになったのは皮肉なことである。10月からは485系電車に衣替えして1時間以上短縮され京都駅発も1時間ほど後になった。なお羽越線は電化直前まで蒸気機関車が残っていて今やまぐち号などを引いているC571もそこで働いていた。電化に伴い梅小路機関区に集められ10月からはその保存機となった。1972年は日本の鉄道が開通して100周年にあたり、その記念事業としてSL館は作られたのである。
1972年8月20日 京都