近鉄養老線再訪・その1

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二十歳の頃養老線を完乗した時の記事を載せている
近鉄養老線放浪記 - awatembowの日記 (hatenadiary.com)
また養老線近鉄から分離され養老鉄道として再出発が決まったことも記している→http://blogs.yahoo.co.jp/d19756236/49501253.html
いよいよ来月から近鉄から分離され養老鉄道となる日が迫ってきた。そんな訳で現在どのような状況か気にはなっていた。この連休に近鉄週末フリーパスを利用して乗ってきた。まず買った週末フリーパスの券面を見ると※10月1日以降は伊賀線および養老線には乗車できません。 と書いてある。この切符で乗れるのは今月中である。かくして近鉄岐阜県内から撤退することになる。

 

朝早く家を出て近鉄各線を乗り継ぎ桑名に10時過ぎに着いた。構内に立つと養老線ホームでは工事をしている。新会社移行の準備としてホーム内連絡改札口を設置する工事であった。養老鉄道では近鉄やJRとの通し切符は発売しない模様で乗り換えのたびに切符を買いなおすことになる。JRは無論近鉄からの乗換えでもそれぞれの社線の運賃を別々に払うことになり、また養老線内の運賃も近鉄の時より上がる見込みで割高なものになる。桑名駅は今までもJRと近鉄共同使用駅で改札を出ずに他社線に乗り換えが出来るようになっているのになんでわざわざ養老鉄道だけ別々にするのか利用者の合点の行かぬところであろう。

 

会社名は大正2年に発足して池野~大垣~養老間を開業させた鉄道名が復活することになった。完全な別会社になるのではなく近鉄100%出資の子会社である。上下分離方式養老鉄道が第2種、近鉄が第3種事業者となる。これにより独自の運賃設定が容易になり沿線市町村からの出資も受けやすくなった。社紋も近鉄の社紋のなかにYの字を入れたものとなっている。養老駅の駅舎入り口にあるうだつの瓦には先代養老鉄道の社紋だったYの字が入れられている。この日が来ることを見越して今まで残しておいたのだろうか。旧来の名前の復活は自然なことではある。しかし気がついたがこの路線は三重県岐阜県を結んでいる。こちらこそが名実とも「三岐鉄道」を名乗ってもよさそうなものだが。

 

電車はこれからも引き続き同じ車両が使われる。現在マルーン一色への塗り替えが進んでいるがまだ近鉄一般車と同じ塗り分け車も残っている。日頃の点検補修は西大垣で行い、大掛かりな検査点検はやはり今までどおり近鉄の塩浜工場に委託して行なわれるそうだ。乗っている分には当面今までの近鉄電車のままであるが、南海から分離された和歌山電鉄と同様独自カラーを打ち出していくであろうか。だが経営は切り詰めていくようだから今はそこまで考えるには至ってないだろう。なお一応ワンマン運転と表示されているが乗車した時は係員が乗ってきて運賃の収受、検札時には車内放送などやっていた。ただしドアの開閉は運転手が行なっているので車掌ではない。新会社になれば職員の制服も変わるだろう。近鉄の制服を着た職員が携わるのもあと少しであろう。

 

大垣付近では工業地帯の中を走りその辺の人員輸送は見込める。しかしそれから外れると見渡す限りの農耕地でまた養老から南は迫ってくる鈴鹿山系の山すそをなぞるように走って県境を越える。どちらにしてもあまり人気のないところばかり通っている。路線はカーブが多くスピードが出せず1M2Tの3両編成でのんびり走っている。もともと岐阜~三重間の貨物運行のショートカットとしての需要が主で通し運行されていた。しかし貨物のなくなった今旅客は全線通しで乗る人は少ない。旅客の流れは大垣北部、大垣南部そして三重県部の3ブロックに大別される。これらの需要に合ったきめ細かい輸送サービスが必要であろう。そして今までは近鉄本線との接続から桑名拠点で経営を考えられていたと思うがむしろ大垣拠点の経営にシフトしていくほうが確実と思う。

 

①マルーン一色の電車。大垣~西大垣間
近鉄駅員と運転手間の点呼確認
養老駅舎入り口の構え。Yの字の旧社紋が残る
④改作口新設工事中の桑名駅ホーム
2007.9.23撮