京都市電四条通線廃止前日

本年の実質初投稿記事であります。相変わらず昔々のお話。今年はねずみ年ですが、3回り前のねずみ年1972年1月のこと。

 

他都市に比べまだ自動車量の少なかった京都市も70年代になるとやはりモータリゼーションの波が押し寄せ、市街を走る市電も次第に肩身が狭くなってきた。それまでにも北野線や伏見線の廃止があったがいよいよ市内の碁盤の目を走る路線にもその矛先が向けられてきた。まずは四条、千本、大宮の3線が年も明けて間もない1月23日限りで廃止となった。

 

中学3年だった将軍はその前日の1月22日土曜日には半ドン授業があった。朝の授業は上の空で聞いていて学校が終わった後撮影に出かけていった。中3の1月と言う時期になんと気楽なことよ。自前のカメラもなくて親から借りたオートカメラ、できばえはご覧の通り。

 

正月には賑わった八坂神社の前で数枚撮った。
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880形が来たので撮る。
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この車両は800形の中でも最後期に作られたもので乗り心地がよく音も静かで好きな電車だった。しかしワンマン化の対象から外れ他の800形より先に姿を消した。

 

四条通りを西へと歩きながら取り続ける。
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今はなき長崎屋の看板が見えるところで1枚。廃止反対のビラも入れたつもり。

 

さらに歩いて四条烏丸に出て1600形を撮る
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今は三井住友銀行となった三井銀行の旧館前で。この交差点の4隅に立つ銀行は全て名前が変わった。

 

この後も何枚か撮って最後は四条大宮まで歩いたようだが、これ以降の写真は日没後になって上手く撮れていない。よってお見せするのはここまでとする。あしからず。
なおこれらもネガは現存せず写真からのスキャンであることをお断りしておく。

 

1972.1.22 撮