交直流用急行形電車

今は幹線の主役は特急になってしまって急行など見る影もない。けれどその昔はどこの幹線にも急行がメインで走っていてその車両が幅を利かせていたものだ。1960年代には交流電化が広がっていきその線区に走る急行電車が大量に作られた。直流の165系電車と同じような車体、設備の交直版だった。交流電化は東日本と西日本では周波数が違うのでそれぞれに合う系列が作られた。東日本の50Hz用に451,453,455、西日本の60Hz用に471,473,475、両用の457系の各系列があった。電気関係の設備の違いだけで外観・塗色はほとんど同じだった。そんなわけでかつてはどこへ行っても目に付く電車だった。

 

私の中学の修学旅行の行先は広島・長崎でなんとなくイデオロギーぽいが、それはさておきまず広島まで行くのに乗ったのは「つくし」という交直流形の急行電車だった。まだ山陽新幹線もないころ在来線では名古屋・大阪から九州までロングランする電車急行がいくつもあった。北陸方面でも「加賀」「ゆのくに」などという名の急行電車が走っていた。また九州内、北陸線内の急行もあった。そのころ485系電車は高貴で希少な存在に見えたのだが特急の増殖に反して急行形は衰退していった。やがて急行形は快速や普通にも使われるようになった。いまも北陸線内や九州に残る車両にのると1970年代前半ころまでの長距離旅行の風情が味わえる。また楽しからずや。

 

クハ455も1両鉄道博物館にあるのか。いよいよ行かなくては。

 

①1971.7.25 熊本にて 
イメージ 1

愛称名不明だが急行列車である。

 

②1977.8.21 芦原温泉にて
イメージ 2

北陸線快速に使用