以前に別府鉄道野口線の記事を載せている。
→別府鉄道野口線 - awatembowの日記 (hatenadiary.com)
その記事を今見ると、この前にも行っているが写真が残っていない旨書いている。初訪問時のネガはやはり出てこないが写真は出てきた。このときもやはり高砂線経由で野口線に乗っているが野口線の写真はない。あるのは終点別府港で撮った数ショットである。ここで野口・土山両線の車両が見られた。
→別府鉄道野口線 - awatembowの日記 (hatenadiary.com)
その記事を今見ると、この前にも行っているが写真が残っていない旨書いている。初訪問時のネガはやはり出てこないが写真は出てきた。このときもやはり高砂線経由で野口線に乗っているが野口線の写真はない。あるのは終点別府港で撮った数ショットである。ここで野口・土山両線の車両が見られた。
①野口線で乗ったのはここに写っているバケット付のディーゼルカー・キハ2だった。
ピンクとアイボリーの2色塗りだったと思う。ディーゼルだが一昔前のバスのように変速シフトレバーが床からニョキっと出ていて機械式だったので総括制御はできなかったのだろう。左手遠方に小さく山陽電車が見える。
ピンクとアイボリーの2色塗りだったと思う。ディーゼルだが一昔前のバスのように変速シフトレバーが床からニョキっと出ていて機械式だったので総括制御はできなかったのだろう。左手遠方に小さく山陽電車が見える。
③DLは片側キャブで動輪にロッドがついている古めかしい入れ替え機
色は青緑だったと記憶する。これが2軸で2重屋根オープンデッキというこれまた古典的な客車を1両つなぎ貨車と混合で引いていた。
色は青緑だったと記憶する。これが2軸で2重屋根オープンデッキというこれまた古典的な客車を1両つなぎ貨車と混合で引いていた。
④木造2軸客車
元は現在の相模鉄道で使われていたものという 窓周りがクリームで幕板と裾は緑だった.帰りはこの客車に乗った。営業運転に使われている2軸客車に乗ったのはこれが初めてでその後も乗った記憶がない。室内はロングシートで私たち2名のほかは客はなし。車掌さんも座席に座り車窓の案内をしてくれた。時速40kmもなかったと思うが定時に土山に着いた。
元は現在の相模鉄道で使われていたものという 窓周りがクリームで幕板と裾は緑だった.帰りはこの客車に乗った。営業運転に使われている2軸客車に乗ったのはこれが初めてでその後も乗った記憶がない。室内はロングシートで私たち2名のほかは客はなし。車掌さんも座席に座り車窓の案内をしてくれた。時速40kmもなかったと思うが定時に土山に着いた。
上の機関車といいこの客車といい「機関車トーマス」にでも出てきそうな…
これが神戸と姫路の間にある鉄道とは信じられなかった。まるでエアポケットに入り込んだかと錯覚するような小さな旅であった。この小さな鉄道も今年と同じような寒い冬の中でひっそり消えていった。
これが神戸と姫路の間にある鉄道とは信じられなかった。まるでエアポケットに入り込んだかと錯覚するような小さな旅であった。この小さな鉄道も今年と同じような寒い冬の中でひっそり消えていった。
全て別府港で 1974.9.29撮