表からは入れなくて横に入り口。
最近この寺田屋の建物が事件のころそのままのものではなくのちに建て替えられたのではないかと疑問が出され京都市が調査することになった。
事件の2年後戊辰戦争のときに往時のものは焼失したといくつかの文献から推測される。
今建っている場所の東側の庭の部分に昔は建っていたといわれている。すなわち上の写真を撮っている場所である。
事件の2年後戊辰戦争のときに往時のものは焼失したといくつかの文献から推測される。
今建っている場所の東側の庭の部分に昔は建っていたといわれている。すなわち上の写真を撮っている場所である。
室内は蛍光灯が点いているようだ。
内部の柱に事件のときの刀痕や竜馬が応戦してできた弾痕が残っているから当時のままだと現所有者は主張しているが昔の大工さんは接木などお手のものだから焼け残った木材を再使用した可能性もある。
最近京都市のHPの観光案内欄から寺田屋の記事が削除されたという。
今になってそういう話が出てくるのはどうしてか分からないが、食品の偽装・年金の改ざん・相撲の八百長などの事件が紙面を賑わしている昨今疑わしきを明らかにする風潮に沿ったものだろうか?
今になってそういう話が出てくるのはどうしてか分からないが、食品の偽装・年金の改ざん・相撲の八百長などの事件が紙面を賑わしている昨今疑わしきを明らかにする風潮に沿ったものだろうか?
写真2008.9.6撮