近鉄生駒線と京阪交野線は元をたどれば信貴生駒電鉄という一つの鉄道の路線だった。始めに南部区間(現近鉄生駒線)ができその後に北部区間(現京阪交野線)ができた。ゆくゆくは両者をつないで一つの路線として運行するつもりだったのだが戦前の経済恐慌の影響で計画は頓挫し会社の事情で北部線は京阪に譲渡された。南部線は戦後も存続したが1964年に近鉄に吸収合併され生駒線となった。南北両区間がともに信貴生駒電鉄として存在した時期は短く私市~生駒の未着工部分はどこにも引き継がれることもなく夢と消えた。そんな部分が現在どのようになっているのか見てみたくて3DAYチケットを使って訪れた。
まずは京阪交野線で交野市へ
まずは京阪交野線で交野市へ
以前は一本の路線バスで私市から生駒まで行けた。この写真。
1966年家族に連れられ私市にハイキングに行った時に私市駅付近で見かけた奈良交通バス。あいにく後部だけしか撮ってなくて前はよくわからないがこの後姿からするとボンネットバスだろう。未舗装の道を砂煙をあげて走っていった。停留所の時刻表を見ると一日4便しかなかったと記憶する。
1966年家族に連れられ私市にハイキングに行った時に私市駅付近で見かけた奈良交通バス。あいにく後部だけしか撮ってなくて前はよくわからないがこの後姿からするとボンネットバスだろう。未舗装の道を砂煙をあげて走っていった。停留所の時刻表を見ると一日4便しかなかったと記憶する。
10時30分の便に乗ることにする。やって来たバス。
田原台1丁目とは四条畷市にある山を切り開いて作られた住宅地内にあるバスターミナルである。ここで奈良交通バスの生駒駅南口行きに接続するはずである。始発駅で乗ったのは私とご老人2人の計3人。
田原台1丁目とは四条畷市にある山を切り開いて作られた住宅地内にあるバスターミナルである。ここで奈良交通バスの生駒駅南口行きに接続するはずである。始発駅で乗ったのは私とご老人2人の計3人。
京阪私市を過ぎると山道を登っていく。
こんなところを通る。
ほしだ園地という森林公園があってその入り口である。今くらいの行楽シーズンにはハイカーや家族連れでにぎわうのだがこの日は寒くてそれほどの人出ではなかった。
こんなところを通る。
ほしだ園地という森林公園があってその入り口である。今くらいの行楽シーズンにはハイカーや家族連れでにぎわうのだがこの日は寒くてそれほどの人出ではなかった。
生駒までは国道168号線が続いておりまっすぐ南下すれば生駒市へ出るのだがバスは途中で西へ折れて府道へ入り四条畷方向へ向かう。住宅地の中を通り35分で終点田原台1丁目到着。
ご老人の一人は途中で降りもう一人は私と共にここまで乗った。途中から乗車した客はなく結局全乗客は3人だけだった。
ご老人の一人は途中で降りもう一人は私と共にここまで乗った。途中から乗車した客はなく結局全乗客は3人だけだった。
奈良交通バス生駒駅南口行き。
11時18分発。京阪バスは3DAYチケットが使えたが奈良交通では使えない。しかしPiTaPaは使える。
始めの3停留所ほどは先の京阪バスのルートと重複するがやがて南へ向かう道へと分かれていく。
次第に賑やかな市街地となり乗客が増えていく。これといった風景は無く都会の路線バスである。
11時18分発。京阪バスは3DAYチケットが使えたが奈良交通では使えない。しかしPiTaPaは使える。
始めの3停留所ほどは先の京阪バスのルートと重複するがやがて南へ向かう道へと分かれていく。
次第に賑やかな市街地となり乗客が増えていく。これといった風景は無く都会の路線バスである。
奈良交通区間は人口も多く需要はあるが京阪バスの区間は山道で民家もまばらである。土日のみ3便のみ運行という状況が需要を物語っている。いずれの部分もすでに道路は整備され自家用車の往来も多い。この区間に鉄道が通ることなどもはや誰も夢見ることも無く信貴生駒電鉄の名も忘れ去られつつある。
2枚目以外2009.4.26撮