佐賀県馬渡島その2・島内各所

船を降りると宿泊予定の旅館の女将さんがお出迎え。旅館まで車に乗せてもらう。

 

泊まった「Y旅館」、かつて高校時代に泊まったのと同じところ。ああ、昔のままだ。
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車に乗せてもらったが港からはほど近い。島内に大きな観光施設があるわけではないが近海は好漁場で年間を通して釣り客がよく訪れるのだという。この周辺に島の諸施設が集まっている。

 

旅館の真向かいに駐在所
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2年交代で駐在員が1名赴任しておられるそうだが撮影時姿を見ず。平和な島に大きな犯罪や事故は少ないが、島内巡回・交通安全講習・免許取得援助活動などの仕事があって多忙なのであろう。昔島民に聞き込み調査をしたが島内の外出時に戸締りをあまりしないというようなことを聞いた。今はどうなのだろう。

 

少し上がると診療所
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唐津市立の診療所で島内唯一の医療施設。1名の医師が着任されている。かつて当時の医師にお話を聞いた覚えがある。島民のために各科にわたって診療しているが緊急な手術など必要なときは船で本土へ移送すると言っておられた。ヘリポートができた今は空走によっているようだ。
診療所の先には小中学校(一つの学校)がある。

 

旅館の夕食
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新鮮な海の幸が並び舌鼓を打ち腹が膨れた。ただこの近海で獲れたものかどうか詳しくは聞いていない。詮索するべきではないが、実はこの島の対岸松浦半島の先に九州電力玄海原子力発電所がある。建設時は沿岸漁業への補償もあった。現在周囲に何も問題は起こっていないし近海産であれ何であれ美味に変わりないが、この辺の人たちにとってややナーバスな問題と窺えた。

 

交流促進施設「馬渡館」
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旅館から島の南を回る道を行くと山道の中腹にある。36年前には無かった。建物の片隅に「平成6年度電力移出県等交付金施設」と貼られている。産出電力量が消費電力量の1.5倍以上になる県を対象とする補助金でやはり原発建設によって作られたものらしい。島民の様々な集会に使われているようだが訪問時は施錠され無人だった。せっかくの施設何か有効利用の方法はないだろうか。

 

島内最高地点・番所の辻
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番所の辻というのが山の名前である。島を一望するときに西寄りに見えるきれいな円錐形の山で237.9mある。頂上前まで車で行ける。頂上は展望台になっている。
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展望台から360度の眺望が楽しめ、特に北側には間近に壱岐が見える。晴れていたらさらに対馬まで見えるというがこの日は雨で見えなかった。

 

カトリック教会
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番所の辻から東へ向かって進むと山間に野中という集落がありその一角に立派な教会がある。前述のようにこの島の山間部の集落の住民はキリスト教徒が多く、この人たちの心の拠り所となっている。かつて来たとき地元の人は「お御堂さん」と呼んでいた。昭和4年フランス人ブルトン神父によって平戸にあった聖堂を移築されたものという。

 

教会の横に見落としてならないものがあった。
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忠魂碑。第2次大戦時に建てられた物であろう。神社や寺の中に見られるものは多いがキリスト教のものは珍しい。裏に次のように記されていた。「国のため生命捧げし丈夫の墓に集いて諸共に誠心こめて祈るこそ我が国民の務めなる誉の中の誉ぞと功の華やいつまでも懐かしく墓に薫るらん」
戦中ともすれば当局から敵国の手先のようにみなされていた国内のキリスト教徒は「聖戦」への協力を強いられて忠誠を誓うためこのようなものを建てさせられ日本軍として戦地へと赴いていった。江戸時代の隠れキリシタン弾圧に継ぐ受難でありそれを今に伝える歴史の証言者である。

 

養護施設「聖母園」
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教会のそばにある児童養護施設社会福祉法人運営だがキリスト教人間観社会観に基づいて家庭環境や養育環境に恵まれない児童が養育されている。園内への立ち入りはできないので入り口前から撮った。静かで伸び伸びとした環境で児童たちは広い心を持って成長していくだろう。

 

36年前に訪れたときの佇まいを今も多く残したまま再び私たちを迎えてくれた馬渡島、短いながらも奥深い休息の時を与えてくれた。ありがとう、またいつの日か…
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まだら島HPを参考にさせて戴きました。