四条河原町阪急(百貨店)のこと

先日阪急阪神百貨店を傘下に置くエイチ・ツー・オーリテイリングは「四条河原町阪急(以下同店)」の営業を今秋で終了すると発表した。1976年開業以来ファッションを中心に販売を続けてきたが最近の消費低迷にあって業績不振が続いていたという。
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最近百貨店業界の売上低迷をよく聞くところである。各地での店舗の閉鎖・撤退を耳にすることも多くなった。だがこの京都でしかも市内随一の繁華街にある同店が消えることになろうとは思いも寄らなかった。

 

思い起こせば同店は34年前、1976年10月15日に開店した。その数年前に阪急梅田駅の移設工事が完成し旧駅跡地の一部は阪急百貨店梅田店の拡張に充てられた。そしてさらに京都の地への進出である。京都の百貨店の中では後発だったが四条河原町という一等地への出店は京都人を驚かせ当時の阪急グループの勢いを見せ付けたものだった。折りしもその年傘下のプロ野球球団阪急ブレーブスは前年に引き続きパリーグ優勝を決め、開店の翌週から始まった日本シリーズでも4-3で長島巨人を下し日本一に輝いた。開店早々に恩恵に浴して日本一優勝セールを行うことが出来、同店は強運を味方につけて京都の市場に割り込んでいくことに成功した。阪急の少し乙にすました上品なイメージは京都人に馬が合ったのだろう。まったく違和感なく溶け込んでいった。また1974年から始まった宝塚歌劇の第1次ベルばらブームの熱狂はまだ続いており宝塚のドル箱興行となっていた。そして同店の地下から発着する阪急電鉄京都線には料金不用の特急車としては最高の設備を持つ新型特急用車両6300系が本格的に投入され阪急電車のイメージアップに貢献した。こうしてみるとこの1976年という年は阪急グループの絶頂期であったと言えるだろう。誰もが同店の繁栄を信じて疑わなかった。

 

しかし悲しいかな同店はその誕生の時から後発業者の悲哀も味わっている。すでに成熟しきった繁華街四条河原町に新規出店することは容易ではなく土地の取得にも苦心し計画の8割程度の敷地面積に留まり先発の高島屋や大丸の1/5以下にしかならなかった。そのためターミナルデパートというにはこじんまりしたもので1~6階ファッション関係、7・8階飲食店街のみとなった。売り場面積が狭いため大きなイベントを打ち出すことも難しかった。以前は地下が食品売り場で京都でここだけの出店という菓子店もあったが手狭な印象は否めなかった。後年改装工事で食品売り場はなくなりその跡も某ファッションブランドの売り場となった。どこの百貨店もそうだがファッション関係売り場は婦人用品に重点が置かれているので男性客はあまり見込めない。その上女性であっても特定ブランドの信奉者はリピーターとしてやってくるがそうでない人は関心を持たない。そんなわけで私自身食品売り場がなくなって以降同店で買い物をした記憶がない。同店の年間売り上げのピークは1991年で171億円だったのがその後下降線をたどり本年度は50億円を割り込み営業赤字5億円の見通しという。まさか阪急が… と思った。
百貨店業界の経営の厳しさは予想以上のようだ。記者会見で閉店発表した阪急阪神百貨店社長も「断腸の思いだが、売り場面積の狭さがネックとなり収益改善を見込めないと判断した」と話した。ファッションを始めとして大規模な安売り店が増え郊外に大型ショッピングセンターが作られていく現在百貨店がこれまでの営業形態を続けていくのは難しい。一方で百貨店は集客力を高めるために売り場面積を大きくして多様な客層に対応できる投資を迫られている。今から同店の面積拡大は資金的・空間的に望めない。

 

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少し別のことを考えてみよう。先述した阪急京都線6300系は来月のダイヤ改正を以って特急運用から退き一部ローカル運用のみとなる。30年以上の使用で老朽化というものがないとはいえない。しかし阪急は昔から車両の手入れがよく6300系より車齢の高い車両はまだいくらでも現役で走っている。6300系だけに老朽の烙印を張るのは時期尚早というものだ。むしろその2扉クロスシートの車体構造が今のダイヤにそぐわなくなっているためという理由が大きいだろう。かつて京都線特急は十三~大宮間30分以上のノンストップで車内は落ち着いた非日常的空間をかもし出していた。その電車に乗って降り立った河原町は「よそ行き」の街だった。そこで「よそ行き」のアイテムを買うためにちょっと洒落た店に入ってみよう。阪急百貨店はそう言う願望をかなえる店だった。ところが2001年のダイヤ改正以来特急は停車駅を増やして以前の急行と同じ位になってしまった。いくつもの駅で乗客が乗り込む車内は混雑し日常的光景の一部でしかなくなった。ことさらに装うこともなく普段着のままで乗る電車。降り立った河原町駅でもカジュアルなままで歩いてみたい。もはやすましたイメージの店で高い買い物をする必要もない。敷居の高くない手ごろな店に入りたい。

 

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同店の北向かいとなる四条河原町北東角の土地を阪急グループが取得し2007年10月に複合商業ビル「コトクロス阪急河原町」をオープンさせた。四条河原町阪急よりさらに小さな敷地だがこの中に各種ファッション・飲食店・書店など気軽に入れそうな店が入居し賑わうようになった。新しい時代にマッチした商業施設をターミナルビルとして機能させた上で今回の決断を見たわけである。阪急グループも転んでもただでは起きない。まだ何も発表されていないが撤退した百貨店の跡地も何か目論みがあると思われる。