京都国立近代美術館・上村松園展

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明治から昭和にかけて華やかな女性美を描き続けた女流画家上村松園の作品が一堂に会して今京都で見られる。彼女の作品だれでもどこかで一度は見たことあると思うが、知っている作品が時系列的にどの辺りに位置するかを知るとその時期に松園が一番示したいものは何かが見えてきて改めて作品を見直すきっかけとなるであろう。

 

幼少のころから画才に目覚め13歳で描いた「四季美人」が皇室買い上げとなるという恐るべき才能。そのときから四季の移ろいの中での女性の変化をさりげなく表現することを続けている。そこに描かれる女性像の髪型、服装、小物、しぐさなどが季節によって違ってくることを教えてくれる。頭髪の表現の細やかさには目を見張るが、それにより髪型がどのような結い方かすらが見えてくる。風景との最高のコンビネーションとなる着物の文様・柄・色はどのようなものかを知ることができる。これらは女性ならではの視線によるものだと思う。

 

さて数々の作品で松園は観る者に謎を問いかけてくる。いくつかを挙げいくと
「虫の音」 では虫の姿は描かれていないが庭先の白い花、琵琶奏者、数人の女性たちの目線などから虫はどこにいてどんな音色を奏でているのかを問いかける。
人形つかい」 もどこにも人形使いらしき人物は描かれていないのにふすまの向こうを見入っている母子たちの表情から見えていない部分で何が行われているかを問いかける。
「待月」 はまだ出てこない月を待つ婦人の後姿だが団扇を持っていることや服装から初夏とわかるがではそれが何時ごろか問いかける。
「夕暮」 はどこにも日差しに関する表現がない。少しあけた障子窓の中から針仕事をしている女が外に向かって針に糸を通すしぐさをして辺りが薄暗くなってきていることを示している。
「晩秋」 も外的環境で季節をうかがわせるものは描かれていない。ただ糊とはさみを手元に置いた女が障子紙の貼りなおしをしているところからそろそろ寒くなってきたことを示している。
このように松園が次々と「これはどうだ、これはどうだ」と我々に問いかけてくるのを感じて一層注意深く観察することを避けられない。悩みながらその答を見出していくのだがそれでも判らないものはある。
「春雪」 という作品は和傘をさした女が後ろを振り向いた構図である。確かに降っている雪を点々と示し傘にも白々と雪が積もっているが、ではこの絵のどこで春を感ずるべきなのか私にはとうとう判らなかった。

 

最後に「美人納涼図」 川のほとりらしきところ柳を背景に少ししなだれた格好の女性が団扇を持ってくつろいでいる。もちろん夏の風景であることは判る。ただ現代の夏にこのような状況で涼しいと感じる人間はいるだろうか? 屋外でいくら団扇を扇いだところで生あったかい空気が流れるだけで納涼にはならないだろう。 涼しさを体感するには締め切った屋内でエアコンで室温を調節することが指標とされるだろう。現代は涼しさも気温、気圧、湿度などで定量化する対象となった。でも本来涼しさとは五感を研ぎ澄ませてさまざまな環境のなかで感じ取るものなのだ。現代人が失いかけている感覚を呼び覚ませるような作品である。

 

2010.11.25 観覧

 

  岡崎公園内・京都国立近代美術館で開催中 12月12日まで