40周年を迎える京阪5000系

5扉で知られる京阪5000系が本年12月26日で運行開始40周年を迎える。それにちなんで今月中5000系全編成に記念HMが掲出されている。

 

旧塗色も
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新塗色も
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思えば私が中学2年の冬に登場した。世は大阪万博の熱狂が冷め落ち着きを取り戻したころでそんなときに京阪が今までの常識を破るような電車を登場させるときいてまさかと思った。でも確かに当時京阪沿線は宅地開発が進み、それに伴い大阪方でのラッシュ時の混雑は殺人的で車内で身動きが取れないほどだった。車両は7連が限度、複々線は京橋から守口市までで寝屋川信号所までの線増工事が始まったところだった。輸送密度は限界に近づいていた。そんな中で停車時間の短縮を図るべく5扉の採用に踏み切ることにする。しかし閑散時には座席数を確保させる必要もある。相反する課題を具現化したのが5000系である。足回りは先に登場した2400系と大差なかったが車体全体のプロポーション、車内設備などをはじめて見て京阪がここまでやるかと唸ったものだ。1970年に登場した同期の鉄道車両小田急5000系、相鉄新6000系名鉄モ600、近鉄2600系、阪急5200系、南海6100系などがある。こうしてみると技術的に優れた新機軸を取り入れたという点では京阪5000系が際立っていると思う。ローレル賞受賞有力候補とされたのだが…。1971年度同賞は名鉄モ600に持っていかれた。鉄道線~軌道線直通複電圧車でクロスシートという意外性がポイントを高めたのだろうか。でも決して京阪5000系の価値を低めるものではないと私は今でも思っている。

 

噂で聞いたところによるとその数年前近鉄奈良線に7扉車を投入することを検討したというが車体強度に問題があることがわかり立ち消えになったらしい。それで京阪5000系が登場したときも強度は問題ないか、ラッシュ時の酷使に耐えうるだろうかという声も一部にあったと聞いている。5000系は京阪初のアルミ車体採用車両でもある。車内装備や混雑時定員による重量増をさけるため軽量化を図ったためである。結果的にこれが腐食を防ぎ長持ちした要因といえる。そして今40周年、中には大事故にあった車両もあるが(第4編成)復旧され全車健在で走っているのはその技術が優れたものであることを物語っている。今や京阪沿線の人口は頭打ちで少子高齢化による通学者の減少が起こっている。線増工事は完成しダイヤには余裕もある。京阪5000系に盛り込まれたポリシーも今では真価を発揮しているとは言いがたく京阪に後継形式が現れる兆しはない。しかし後年首都圏各社で多扉車が登場したことは京阪5000系の技術を受け継いでいるものといえるだろう。

 

去る18日に京阪は40周年記念グッズを発売した。
「発車メロディでお目覚め♪ 走る!アラームクロック」
http://www.keihan.co.jp/traffic/goods/goods_alarmclock5000/
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新塗色バージョンもある
これからの40年時を刻んでいってくれるだろうか。