JR武豊線

小学生のころ(もちろん国鉄時代)親に連れられ武豊線に乗った覚えがある。当時武豊に親戚がいてそこへ行くのに乗ったのだ。あまりはっきりした記憶ではないがキハ35の2連だったように思う。それから実に40年以上経て再び乗ってみた。

 

名古屋発12:17の新快速に乗り大府で乗り換え。ここで武豊線とは20分あまりで接続する。もっとよい接続パターンもあるがあえてこの列車にした。というのは…。名古屋~武豊の通し運賃は740円である。ところが大府でいったん下車して買いなおすと名古屋~大府、大府~武豊どちらもそれぞれ320円で合計640円で済む。できれば大府で買いなおしをしよう。

 

さて武豊行き列車だが
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大府着12:38の列車がここで折り返し12:52発武豊行きとなる。
昨年出来たばかりの新型キハ25の2連が入線。数年後には武豊線も電化される予定だそうでそれまでの繋ぎ役であるがそれにわざわざ新車を投入とは武豊線は厚遇されている。

 

キハ25なんて聞くとオールドファンには昔の20系気動車の1形式を思い浮かべてしまうがそれとは大違い。2代目は洗練された都会型車両、313系電車と見紛うばかりのスタイルは気動車を思わせない。走行音は静か、加速はよいし乗り心地は快適だった。

 

もともと武豊線は日本で二番目に古い鉄道路線の一部で、武豊港で陸揚げされた物資を名古屋に運搬するために敷かれたものだ。だから当初は本線並みの扱いを受けた。全線単線でこそあるが大半の駅は交換設備がありホーム長や複線部分が長く線路は直線的に敷かれている。長大な貨物編成でも入線可能にした名残である。そういえば沿線に重工業の工場がいくつかあるがそれへの引込み線が今でも使われている。一方で知多半島の地理上起伏は割りとあり大府を出てからはじめは田園風景が広がるが次第に平坦となり住宅地も広がる。小さな盲腸線にしては多面的に需要がありJRが廃止しないのも理由あってのことだ。

 

約30分で終着武豊駅到着
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構内配線、3つの留置線があるが客扱いできるホームは1線だけである。

 

ホーム
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結構多くの乗客が吐き出された。この駅舎は見覚えがある。小学生のとき大きな正面口がなく裏口のような出入り口が横向けに付いているので調子が狂うような印象を受けたその駅舎が現在もそのままだった。

 

現在はここで終点になっているが線路がまだ先まで伸びていた痕跡がある。
旧線路敷跡の道を10分ほど歩いたところに武豊港駅があった。そこに今も鉄道遺跡がある。

 

転車台跡
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交差点の一角が小さな公園になっていてテント屋根のなかに左下に示したような修復された転車台が保存されている。十数年前郷土調査をしていた小学生が発見したものを往時の状態に復元したと言う。
ここに操車場があって貨車の方向転換に使われていたそうだ。このような直交二線型のものは他では見られない珍しい存在である。

 

2011.7.17乗車・訪問