孫文記念館

明石海峡大橋のすぐ東横に中国辛亥革命の立役者孫文を顕彰する「孫文記念館(移情閣)」が建っている。元は在日華僑の別荘として建てられたがその後楼閣・移情閣も増築され「舞子の六角堂」として親しまれてきた。以前はもっと山手にあったが明石大橋開通に伴って現在の場所に移築され、人や車船の流れを見守り続けている。
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孫文辛亥革命が勃発するまで世界各地で亡命生活を送っていたが、日本にも長期にわたって滞在し明治維新に倣って中国にも改革が必要と思い至った。そして各方面の日本人とも親交を深め革命への支援を得た。それは中国のみならずアジア全体の自立を促す「大アジア主義」を唱える思想背景ともなった。
革命の成功と中華民国の成立により孫文は臨時総統に就任したがそれもつかの間、袁世凱らの軍閥に取って代わられ中国は再び内乱と日本など他国の干渉が始まる。下野した孫文はまた各地を巡り「三民主義」の統治による中国の近代化を説いたが時代は彼の思いを受け入れず、混沌とした世相の中で1925年北京で没する。「革命いまだ成らず」の言葉を残して。

 

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孫文はこの建物に住んでいたわけではないが、1913年に来日したとき在日華僑有志がこの移情閣に彼を招き歓迎昼食会を開いたことに縁を持つ。移情閣館内に張り巡らされた金唐紙は豪奢な雰囲気をかもし出しマントルピースなど当時の粋を凝らしたモダンさは孫文をしても魅了したことだろう。
折りしも今年10月に辛亥革命100年を迎えた。もしも孫文中華民国総統の座に踏みとどまれていたなら日中戦争はなかったかもしれない、などと100年間の歴史の流れを今一度ここで問い直すのも一興ではないだろうか。

 

2011,11,20は「関西文化の日」とされ関西各地の美術館・博物館が無料公開された。孫文記念館もこの日無料で入場できた。