劇団四季「マンマ・ミーア」観劇

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京都劇場で公演中の劇団四季「マンマ・ミーア」を見てきた。劇団四季のレベルの高さは疑うところはないのだが以前に映画版の同作品を見ており、ドナ役のメリル・ストリープの演技・歌・踊りが完璧であったと感銘を受けただけに劇場版でそれにどこまで迫れているか興味があった。

 

まず全編で出てくるABBAの曲の数々がうまく生かされているかがこの劇のポイントとなる。そもそも原曲はポップミュージックとして生まれて後になってこの劇に用いられたものであるからただうまく歌うだけでなく劇のストーリーに如何に溶け込ませているかが求められる。たとえば「ダンシング・クイーン」原曲のコンセプトは17歳の少女が週末の夜に踊りに出かけて行く姿を描いているが、この劇の中では少しふさいでいるドナに二人の友人が元気付けに踊ろうと呼びかけて次第に彼女をハイテンションにさせていくという場面で用いられる。その意味では劇場版においてこの曲の場面はもう少し盛り上げのほしいところだった。映画ではこの曲のラストで町の女性総出で桟橋の上で踊りまくるという形になっている。場面の変化を舞台ではめまぐるしくはできないにしても「最高の時間」の見せ場として一工夫ほしい。それは映画ではこの後出てくる「レイ・オール・ユア・ラブ・オン・ミー」において男性陣が桟橋の上で踊りまくる場面と対になっていると思えるからだ。劇場版でも同曲中で男性陣が並んで踊っているところはあるだけに惜しまれた。とはいえ劇でのドナ&ダイナモスの女性3人の歌唱力はすばらしく「スーパー・トゥルーパー」は息が合っていて娘たちの前で「私たちこそがナンバーワンよ」と訴える力絶大だった。
そのパワーある女性に比べてソフィーの父親の可能性ある男性3人が役作りに少し苦労しているなと思えた。映画では巻頭で結婚式の招待状を受けた3人3様の生活様式に簡単に触れられているので一人一人の特徴を頭に入れることができたが、劇場版では彼らがいきなりそろって登場するのでやや面食らう。そのため、役者の演技力の問題ではないのだがどうしてもせりふが説明口調で平坦な感じに聞こえる。「ギミー・ギミー・ギミー」「ブーレ・ブー」の曲の最中にソフィーは3人の父親候補から話を聞きだし誰が本当の父親か知ろうとする。そのときのやり取りがどれもあっさりしているのでソフィーへの衝撃がもっとあってもいい。また映画版でステラン・スカラスガルド演じるビルはワイルドさが表に出ていたが劇場版のビルはそれよりは紳士的だった。
「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」や「アワ・ラスト・サマー」など映画と劇場では使われ方が異なる曲もある。映画版での使われ方も綺麗であるが、ソフィーとスカイのこれからや3人の男性たちとドナとの思い出を訴えかけるという点でこれは劇場版に共感を持った。
あるいは人生をゲームの流れにたとえているのかもしれない。「ザ・ウィナー」でドナがサムに向かってあなたは勝ち去って行った、私はカードをすべて使いきったと言ってもはや手元にカードはないことを訴えている。ところが21年探し続けたソフィーの父親が一度に3人も出てきた。待っていたカードが思わず3つも出て来るゲームの不可思議さ、あなたは敗者ではない。サムも実は求めていた。彼はドナにプロポーズしドナが「アイ・ドゥ・アイ・ドゥ」と答える。ロージーが歌う「テイク・ア・チャンス・オン・ミー」。一か八か試してみて。人生は悲しみつつすれ違いつつ知らず知らずのうちにドリームへと向かって行く。人生というゲームもまさに「マンマ・ミーア」の連続だ…。

 

映画版はその情景を印象付けられたが、劇場版ではやはり生の歌声が心に響きまた違った趣を印象付けられた。

 

2012.2.2 京都劇場