「いつも」と「いつでも」

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同じようだが微妙に違う「いつも」と「いつでも」、私たちは無意識に使い分けている。

いつも
○「いつもお世話になっています」
×「いつでもお世話になっています」

いつでも
○「いつでもまた来いよ」
×「いつもまた来いよ」

それぞれに使い道があり取り替えることができない。指す対象が少し違うようだ。
「いつも」は時間の継続性に注目しある行為を継続的に行っていることに重きを置いている。上の例では相手が絶え間なく自分の利益にかなうことをしてくれることへの感謝を意味する。
これに対し「いつでも」はさまざまな状況、環境の変化に対しても変わらずある行為ができることに重きを置いている。上の例では相手に都合よい時に訪問することへの許可を意味する。決して毎日訪問しろと言っているのではない。

さてそれでは次の場合どうだろうか
「彼女はいつも明るく振舞う」
「彼女はいつでも明るく振舞う」
見たところどちらも文は通じるので双方とも可と思えるが少し意味合いが変わるように思う。
前者は彼女の態度が自発的な行いとして継続的に現れていることを言っている感がある。
これに対し後者は彼女がさまざまな外面的な事象に対応して行動していることを言っているのではないか。「いつでも」を使った場合次のような背景が考えられる。彼女も人間であり自分が肉体的、精神的に疲れているときもあろう。また仕事の上で嫌なことに直面することもあろう。そんなときにも決して内面の気持ちを表に出すことなく、他人に不快な思いをさせようとしない気遣いを取り上げそれを賞賛している感がある。
普通には前者が使われることがほとんどで、もちろんよい意味に使われていることが多い。だがその一方で取り立てて後者の文が使われた場合、彼女への敬意が込められていると受け取ってよい。どうかその「で」一文字の重みをかみしめて欲しい。