56歳誕生日

本日図らずもまた一つ歳を重ねてしまった。56歳、山本五十六の父が彼を授かった歳である。自分は1956年生まれで56歳と今年はW56である。この歳で人の親になる者もいると思えばまだふける歳でもないが、普通に見れば孫ができても不思議ではない歳。実際中学高校の同期の中にはそのような者もチラホラいる。本人たちもそれなりの風格を見せ始めている。世間から見れば間違いなく中高齢者である。でも40年ほど前までは定年55歳というのが世の趨勢で56歳は隠居生活の始まりというような歳だったのだが今やこの歳でリタイヤする人などいないし経済的状況はそれを許さない。そんなわけでまだまだ老身に鞭打って働き続ける途上と相成り候。しかとご支援ご鞭撻のほどを…

 

それでは恒例の歳の数のつく形式車両の写真を
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なんといっても親しみ深いのはSL C56形であろう。地方線用の小型テンダー機関車。一見華奢そうだが小海線飯山線など山岳、寒冷、豪雪の地で長く頑張った。戦時中にはタイに渡った仲間もおり戦火交えて燃料も厳しい中物資の運搬に働いた。小さくても芯のある使い勝手のよいカマ。SLの中では私の一番好みの形式である。写真は梅小路に保存されている160号車。先日京都駅内でイベント走行したそうだがこれは1998年京都駅ビル完成1周年記念行事のときの写真。

 

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旧型国電クハユニ56.電車では珍しい郵便荷物合造客車。閑散線区用で旧国天国だった飯田線ゲタ電の一員として長く使われた。1982年12月20日伊那松島区で。旧国では戦前サロハ56というのがあったが戦時中格下げされてサハ57の一員となり戦後大糸線で使われていた。旧国も終焉の日からすでに30年近くの時が経った。こちらも歳をとるわけだ。

 

その他ELでEF56、戦前型ELの中では丸みを帯びた優雅なボディーと中央へよったパンタが特徴だった。
DCでキハ56、急行形気動車キハ58の北海道版としてかの地で広く活躍した。キニ56、キハ55を改造した荷物車があった。
PCにはオハ56、スハ32の台車振り替えにて生じた形式で地方の普通列車に使われていたというが、これら残念ながら実物を見たことはなく写真もない。
今や展示用のC56が見られるのみである。

 

  でもわしゃまだ現役だよ!!