苦役列車

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2011年第144回芥川賞では、朝吹真理子さん(26)の『きことわ』と西村賢太さん(43)の『苦役列車』が受賞した。そのあまりに対照的な二人の作家のプロフィールが話題になったりした。遅まきながらこのたび苦役列車のほうを読んだ。

 

なぜ鉄道とは離れた内容に苦役列車という題名なのかよく分からないが、「人に後れを取る各駅(停車)列車のような人生」ということにかけた洒落かなと思った。とにかく華やかさのない最下層の営みが延々と綴られる。もちろん創作小説ではあるがこのような体験がなかったらおそらくは書けない内容が随所に見られ作者本人の個人的体験がちりばめられているものとうかがわせる作品だ。西村賢太⇒北町貫多とあまりに捻りのない変名に読者には作者の投影像と思えてしまう。

 

この作品の主人公が日下部のほうだったらおそらく一定のサクセスストーリーかラブストーリーが成立しただろう。あるいはこの作品を小林多喜二が書いたのならおそらく上に立つ人間が打ちのめされ未来に希望が持てる結末となっただろう。だが本作品はそうはならず社会の最底辺に位置する一人の人足の生き様を淡々と記し続ける。そこにあるのは最底辺に沈み込んだ者の上り口のない閉塞感(貫多は上り口があっても登ろうとしない)と明日の見えない暗鬱感である。自暴自棄になりその日だけを送るための労働とその後の酒と自慰行為、たまさかの風俗通いだけの生活。衣食住は最低レベル。だがそんな人間ですらもねたみや僻みからどこか一つでも他人への優越感を持とうとする悲しい性がむきだしになる。上昇志向だけが人間の生き様と思わせがちな現代の社会や文学に楔を打ち込むようなおどろおどろしさを見た。なお文中にはいくつか時代がかった表現や語彙が出てくるがそれがまた読者に重々しい気分を抱かせる効果をもたらしている。

 

本書にはタイトル名作品のほかもう1編「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」も収録されている。こちらの主人公の名も北町貫多。人足生活から這い出て無名の作家となっているがぎっくり腰に苦しんでいる。掃除機を使っていて痛めた記述があるがやはり若い日の無理がたたってのことではと思わせる。寝食取るにも呻吟しながら自ら書いた小説作品にあれこれ思いをはせてある文学賞受賞を夢見る。出てくる固有名詞は一応架空の体を取っているがほとんど実名に近い。本当にこんなこと書いて大丈夫かなと読む方がヒヤヒヤしてしまう。まあこれは私小説というよりはめでたく芥川賞を取れるまでの紆余曲折を書き残した裏話と思って読むほうがいい。山中教授も受賞前ノーベルの著作物を買って読んでいたかもしれない??(笑)

 

新潮社刊行