同志社校墓地

今年はNHKドラマ「八重の桜」で同志社創立者新島襄の妻となった新島八重がクローズアップされている。彼女の墓は襄ら同志社創立者とともに京都市左京区若王子山中にある同志社校墓地内にある。

 

哲学の道から
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観光地として知られた哲学の道の始まるところ。後姿の女性が立っているところから右手へ行けば哲学の道銀閣寺まで続く。そちらへ行かず若王子橋という小さな橋を渡ると若王子神社がありその先で山道が始まる。それにしても普段あまり自動車が通らないところだがこんなところへ救急車がやってくるとは何事か?

 

墓地案内の看板
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割と新しそうな看板。今年になって訪れる人が増えて立てたのだろうか。新島襄の英語名はジョセフ・ハーディー・ニイシマである。幕末渡米した船の船主ハーディー家で養子として扱われジョセフという洗礼名も受けた。Neesimaと現在のローマ字表記とは異なるが襄自身このように自筆していたようだ。

 

新島襄の墓
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山道を15分ほど登ると墓地の入り口に着く。中に入って真正面中央に襄の墓、左に八重、右に襄とともに同志社設立に尽力した米国人宣教師J.D.デイヴィスの墓が並んでいる。墓銘は勝海舟によるものだというが「島」の字がおかしい。襄の墓は1986年不慮の事故で倒壊し現在のものは初代のものを模して作られた二代目である。

 

八重の墓を接写
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上の写真の左手の八重の墓に近づくとこの通り。小柄な女性だったようだが墓も小柄である。襄にしろ八重にしろキリスト教に入信し洗礼も受けているのに墓はあまりキリスト教ぽくない。質素を旨とした生活だったのを投影しているようだ。

 

山本覚馬の墓
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八重の墓の右下手に彼女の実兄でありやはり同志社設立に深く関わった山本覚馬の墓もある。同志社が京都の地に建ったのは彼の力によるところが大きい。この他にも同志社創立期ゆかりの人たちの墓が襄を取り囲むように並んでいて、山の上から同志社の生徒・卒業生たちを見守っている。

 

もともと静かな場所だったのだが最近は訪れる人も絶えないようである。特にこの日はどこかのハイキングツアーの団体がやってきていて墓地の前で大勢の人が休息をとっていた。墓前に花を手向けてあったのもそのためであろう。この山道はさらに続いており辿っていくと先般歩いた大文字への道、七福思案処へ至る。
⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/d19756236/63687725.html

 

2013.6.2訪問