先日の蒲郡線訪問のときに吉良吉田駅で下車したが、これまでにも降り立ったことがあり今回は3度目である。いつも特定の目的があるわけでなく電車の乗り継ぎのための短時間滞在だけなのでスナップ的な写真しかないが3度を見比べると変化を見て取れる。今回撮影分も合わせまとめて出してみよう。
1度目 1988.11.27
知立から三河海線を乗り継いでたどり着いた。碧南から先もまだ電車が走っていた。
★当時の駅舎
今も使われている駅舎で大きい変化はないが駅名だけの表示でMEITETSUのロゴマークなどはまだ使われていない。駅横の案内地図には吉良町となっているが今はこのあたり西尾市に編入されている。
知立から三河海線を乗り継いでたどり着いた。碧南から先もまだ電車が走っていた。
★当時の駅舎
今も使われている駅舎で大きい変化はないが駅名だけの表示でMEITETSUのロゴマークなどはまだ使われていない。駅横の案内地図には吉良町となっているが今はこのあたり西尾市に編入されている。
★三河線電車到着
碧南方面から何ケ所か途中下車して最終的にこの電車に乗った(2735)。まだ電車運転のころでこの日はこのような3700系2連の運行ばかりに当たったが時には800形の単行運転というのもあったらしい。
碧南方面から何ケ所か途中下車して最終的にこの電車に乗った(2735)。まだ電車運転のころでこの日はこのような3700系2連の運行ばかりに当たったが時には800形の単行運転というのもあったらしい。
★西尾線ホームで
西尾線と蒲郡線はまだ一体運行されており蒲郡から来た新安城行普通が到着する。7300系はこのような線区でよく見られた。向うに乗ってきた三河線の電車がまだ停まっている。手書き文字の駅名表が懐かしい。当時犬山市在住でここから家路につくのに新名古屋までは白帯7000系の特急に乗った記憶がある(日が暮れたので撮影はできず)。
西尾線と蒲郡線はまだ一体運行されており蒲郡から来た新安城行普通が到着する。7300系はこのような線区でよく見られた。向うに乗ってきた三河線の電車がまだ停まっている。手書き文字の駅名表が懐かしい。当時犬山市在住でここから家路につくのに新名古屋までは白帯7000系の特急に乗った記憶がある(日が暮れたので撮影はできず)。
2度目 2004.3.20
三河海線碧南~本駅間はすでにDC化されていたが合理化の努力もむなしくこの3月末で同区間が廃止と決まった。名残を惜しんで同区間を乗車した。初期のデジカメによる撮影のため画質はあまりよくない
●三河線DC停車中
1988年に降りたのと同じホームに到着。車両はキハ30形33.
蒲郡方面ともつながっているが直通が走ったことはない。
三河海線碧南~本駅間はすでにDC化されていたが合理化の努力もむなしくこの3月末で同区間が廃止と決まった。名残を惜しんで同区間を乗車した。初期のデジカメによる撮影のため画質はあまりよくない
●三河線DC停車中
1988年に降りたのと同じホームに到着。車両はキハ30形33.
蒲郡方面ともつながっているが直通が走ったことはない。
●三河線碧南方面を見る
乗ってきた車両を見送り次の便で引き返すことにした。三河線本線は渡り線を通って左側へ進むようになっていて車両が置かれているのは留置線である。普段列車本数が少ないのでこの留置線が使われることはあまりなかったのだがこの日は廃止間際の休日ということで増発され次の便に使われる車両が置かれていた。運転士さんが傘をさして車両を出しに行くところ。
乗ってきた車両を見送り次の便で引き返すことにした。三河線本線は渡り線を通って左側へ進むようになっていて車両が置かれているのは留置線である。普段列車本数が少ないのでこの留置線が使われることはあまりなかったのだがこの日は廃止間際の休日ということで増発され次の便に使われる車両が置かれていた。運転士さんが傘をさして車両を出しに行くところ。
3度目 2013.7.28
蒲郡線を降りて西尾線に乗り換えるのに一電車見送って駅周りをブラブラした。三河線廃線跡はどうなったのだろうか。
◆廃線跡から
三河線用だったホームは蒲郡線用に転用された。線路の果てから駅を眺める。駅から200mほどは三河線だった線路が残っていて上の写真にある渡り線も留置線の架線もまだある。しかしここまで来る電車はもうない。
カメラを構えていると地元の初老男性に声をかけられた。旧三河線沿線で農業をしているそうだが、廃止の際に名鉄から短く切断したレールをもらったとのこと。鉄道がなくなってやはり不便になったと。バスは鉄道のように時間通りに来ないことがあるので皆乗らなくなってしまい、(三河)一色あたりは余計さびれたとお話しされた。
蒲郡線を降りて西尾線に乗り換えるのに一電車見送って駅周りをブラブラした。三河線廃線跡はどうなったのだろうか。
◆廃線跡から
三河線用だったホームは蒲郡線用に転用された。線路の果てから駅を眺める。駅から200mほどは三河線だった線路が残っていて上の写真にある渡り線も留置線の架線もまだある。しかしここまで来る電車はもうない。
カメラを構えていると地元の初老男性に声をかけられた。旧三河線沿線で農業をしているそうだが、廃止の際に名鉄から短く切断したレールをもらったとのこと。鉄道がなくなってやはり不便になったと。バスは鉄道のように時間通りに来ないことがあるので皆乗らなくなってしまい、(三河)一色あたりは余計さびれたとお話しされた。