57歳誕生日

またも年を重ねる日が頼んだわけではないのに来てしまった。品性も風格も身につかぬまま齢ばかりをとっていく(嘆)。ただ健康でいられることばかりは感謝せねばなるまい。とはいえそれがいつまで続くやら分かったものではない。そろそろ残りの人生をどう送るか考えなければならぬ時に至ったように思う。

 

などと言いつつ毎年代わり映えもしない年齢数のついた車輛形式について記す。

 

57のつく鉄道車両形式でまず思い浮かべるのはC57形蒸気機関車だろう。1937年から200両が製造され旅客用機として全国各地に配置された。使い勝手の良い機関車として長らく使われ国鉄末期現役最後の蒸気機関車として残ったのがこの形式の135号機だった。一般営業用として引退後も1号機が動態保存機に選ばれ現在もJR西日本SLやまぐち号の牽引機として活躍中、さらに後年引退していた180号機が復活してJR東日本SLばんえつ物語牽引機となって活躍中。この機関車を「貴婦人」と呼ぶ向きもあるがこれは1970年ころ公開された記録映画「すばらしい蒸気機関車」によって広まったものと記憶する。
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1967.5.14 京都駅にて


電機ではEF57、C57と同時期作られた本線用機で1号機を除き前に大きく張り出したパンタグラフが特徴だった。製造当初東海道上越に配備されたが後継機の増備で後年東北本線直流区間に活躍の場を移した。

 

電車にはサハ57があった。クモハ41、60などのグループの中間付随車である。戦前首都圏で通勤用として使われていたが戦後グループ他形式とともに各地に散っていった。クハ化されたものもある。

 

気動車にはキハ57.1961年信越アプト式区間を通過するために空気ばね台車、ディスクブレーキを装着して登場した急行用気動車。キハ58の派生形式のように思われるが実はこちらのほうが少し早く登場した。横軽新線完成と信越線完全電化により中央西線高山線などに移り58と混用されるようになっていった。最晩年はJR四国でローカル用として余生を送っていた。

 

客車にスハ57.あまり聞きなれない謎の多い形式である。以下のような変遷を辿ったようだ。
 オロ35⇒(電気暖房取り付け)⇒スロ43⇒(格下げ)⇒スハ54⇒(通勤用化)⇒スハ57
旧オロ35を格下げロングシート化したオハ41300番台の重量の重いものという見方もできる。
1968年に3両が改造されたと記録され当時の車両配置表に存在が確認できるのだが、私個人実車はおろか写真も見たことない。数年で姿を消したようだ。写真お持ちの方おられたらぜひご一報ください。

 

以上、2両のC57を除いてすべて現存しない形式ばかりである。そういった車両を今思い起こすときその生い立ちよりは後年の消息に気が行くのは年のせいであろうか。地方転属、格下げ、ローカル転用、そして人知れず消えていく末路…。華々しい登場であるほどその最後が寂しいものになるのが何かを暗示しているように感じる。そんな中で2両のC57が今も元気に花道を走り続けているのが我々中高年への希望の光を灯していると受け止めたい。

 

蛇足
上にあげた車両の写真はC57以外持ってない。せめて代わりに東武名鉄の5700系の写真をあげておくことにしよう。
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これも引退後。2012.2、11 東武博物館にて


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1988.8.28 犬山遊園にて