久しぶりに交通科学博物館へ

大阪環状線弁天町駅の傍にある交通科学博物館は1962年の創設以来今年で52年を迎えるが、営業主体であるJR西日本は先年梅小路蒸気機関車館をさらに拡大して大規模な鉄道博物館を2016年春に開業させる計画を発表した。それに伴い現在の交通科学博物館の展示物の多くが移設集約されて同館は今年4月6日に閉館されることとなった。関西在住の鉄道好きなら必ず一度は訪れているスポットである。私も子供のころ親に連れられてそして親になってから子供を連れて何度か訪れたことがあり思い出深い場所である。閉館が迫ると聞いてそれまでにもう一度行ってみようと思い立った。

 

あれは小学5年生の時
イメージ 1

とある日曜日、親に連れられ家族で見物。当時は「交通科学館」と言った。私の肩には買ってもらって間もないカメラ「フジペットEE」が掛けられていた。それで撮った一枚。入館して最初に目に入るのはこの2台のSL、C53 45とC62 26.梅小路蒸気機関車館はできておらずそもそも蒸気機関車はまだ現役であちこちで走っていたから保存されること自体が珍しいものだった。スシ28という食堂車も保存されていてその中で食事ができ、家族で昼食をとったのがうれしかった。

 

それから47年が流れて
イメージ 2

展示車両も増えて上屋も付いて駅ホームらしくなった。あの時見たC6226は今もあるがC5345のほうは梅小路へ移って行った。その代りD512が並ぶ。スシ28もあったが今は立ち入りできず食堂の営業は後から来たナシ20に譲っている。上屋には長年の来訪への感謝の言葉が示される。名残を惜しんでやってきた家族連れたちでよく賑わっている。なお機関車の向きが以前とは反対になっている。

 

展示館に入れば
イメージ 3

52年の軌跡展と称して閉館前のサヨナラ企画が行われている。開館以来今日までの当博物館の歴史を写真パネルや古い所蔵品などを示しながら紹介。思えば1962年という年は2年後の東海道新幹線開業に向けて鉄道の高速化・近代化がさらに進められようとしていたころだ。この時をエポックとして鉄道の過去と未来を国民に知らせようとの思いが伝わってくる。

 

そのころ私たちの憧れの列車は
イメージ 4

新幹線のできる前、最高の憧れは151系電車こだま号だった。その実物大の前頭部模型が開館時から置かれ当初はメイン展示物として広告などにも出ていた。今や知名度人気も後にやってきた新幹線0系実物にとってかわられた。それでも私たちの世代はいつになっても特急電車といえば「こだま」なのだ。これは梅小路に引き継いでほしい。

 

鉄道だけではなく
イメージ 5

国鉄東名ハイウェイバス1号車744-9901
初代ドリーム号用

 

イメージ 6

エアロコマンダー680F型
朝日新聞社用機「東風」号

 

1月中の日曜日上二つの乗り物はそれまで非公開だった内部を公開している。
交通科学博物館」の名に偽ることなく鉄道以外自動車・航空機・船舶なども少数展示されている。今は各交通機関別により専門化した博物館が各地にできており交通機関全体というとらえ方は総花的で児童絵本的に見えるかもしれない。京都鉄道博物館への移行も鉄道について特化していく方向であろう。エアロコマンダーはどこへ行くであろうか。また鉄道の中でも国家事業になる鉄道がなくなり民営化されていくと日本全体の鉄道像というとらえ方をする機関はなくなり自社以外のものは排除されていくかもしれない。JR西日本東名高速バスにはかかわっていない今744-9901の去就も気になるところである。だが見失ってはならないことは一つの分野で進化していくということは他の分野で使っている技術を取り入れ応用してこそできるということだ。いろいろな交通機関で利用される内燃機関の働き、機体構造、電気信号通信などはお互いつながりあい影響しあって発展している。京都鉄道博物館開業にあたってどうかその視点も忘れずに受け継いでほしいものだ。

 

写真1以外 2014.1.19撮