30年前の写真、1984年7月 山陰線普通列車に揺られて

30年前の夏、東洋医学の講習を受けに明治鍼灸短期大学へ行くのに山陰線の普通列車に乗った。その時撮った鉄関連の写真。

 

友人と待ち合わせ国鉄二条駅から乗車
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二条城最寄り駅として長らく親しまれた重厚な和風建築。JR化後付近が高架になったのに伴い駅舎も新装されてこの駅舎は梅小路蒸気機関車館に移設された。駅構内も広々としていて貨車が何台も留置されていた。

 

嵯峨駅で急行待避
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左側の旧型客車の普通列車に乗った。山陰線にはこのような客車列車が多く残っており本線といえども単線非電化。優等列車の待避や行き違いの待ち合わせで10分くらい停車することはざらだった。ディーゼル急行「丹後」に抜かれる。「嵯峨」駅は後に「嵯峨嵐山」に改称された。

 

さらに特急行き違い
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急行待避に続き京都行き特急「あさしお」行き違いの待ち合わせ。こちらが長く待っていたことなど素知らぬ顔で通り過ぎて行った。もうあさしおも見られないのだなあ。

 

保津峡停車(現トロッコ保津峡駅
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現在の保津峡駅とは違い現在「嵯峨野観光鉄道」になっている保津川沿いの曲がりくねった険しい路線の途中にある駅。川には保津川下りの観光船が浮かんでいるのが見え船客が列車に向かって手を振っている。こちらも窓から手を振って返す。客車は非冷房、窓を開けて外の景色を眺めるのがささやかな涼。


殿田到着
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二条から1時間半くらいはかかっただろうか。短期大学の当時の最寄り駅「殿田」に着いた。普通しか停まらない駅ながら売店がある。短大へはここからまだ車で10分以上あって迎えのバスが待っていてくれた。ここを毎日通学する学生の苦労がしのばれた。
この駅は後に「日吉」に改称され、所在地も船井郡日吉町だったのが南丹市日吉町に変わった。また短大は大学に昇格しその入り口前に「鍼灸大学前」駅が新設され今はその駅が大学最寄り駅である。駅新設時大学の名称は「明治鍼灸大学」だったのでそれに従った命名だったのだが、同大学はのちに柔道整復学部や看護学部も併設したため大学名は「明治国際医療大学」となった。しかし現在も駅名は「鍼灸大学前」のままである。

 

これだけのエピソードでも30年の歳月の流れを実感する。

 

1984.7.15撮