30年前の写真 電化直前の国鉄奈良線

1984年10月のダイヤ改正奈良線は電化されそれまで走っていた気動車に代わり105系電車が走るようになった。
最終日の急行「紀ノ川」の記事
⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/d19756236/14860471.html
奈良線105系の記事
⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/d19756236/18777571.html

 

電化工事も進み架線が張られた下で最後の活躍をするDCたちの姿。
1984年8月から9月の間に撮影したものである。

 

京都
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最終日9月30日。急行型編成だが普通奈良行きとして使われ発車するところ。このあと紀ノ川編成が入線した。立て続けに急行型が入ってきたのはこの時だけだったのか?

 

東福寺~稲荷間
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8月5日。京阪鳥羽街道下りホームから撮影。奈良運転所仕立ての紀ノ川編成は京都まで普通として運行されて折り返し紀ノ川となった。その京都行き普通の後姿。実はこの後粘って撮ろうとした紀ノ川はシャッターチャンスを逃して失敗。しかしこの写真で無表示になっている種別幕が紀ノ川の時は「急行」と表示されていたことは証明できる。

 

宇治
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8月24日。京都行き普通入線。奈良線は1978年ころからタラコ色で前面補強型の35系が主流となり若干40系が入っていた。宇治駅が現在のような橋上駅舎化されたのはJRとなってみやこ路快速が走るようになってからで国鉄時代はこのような構内だった。

 

新田
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最終日9月30日。この日以前の記事にあるように京都から奈良まで紀ノ川のG車に乗車し帰り道は駅撮りで道草しながら帰った。このころにはもうなかったが昭和40年代までは京都からこの駅までの区間運行が多くそれ以南は本数がガクンと少なかった。JR小倉駅国鉄時代には当然なかった。

 

木津
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最終日9月30日。これも帰り道での駅撮りで上の写真より先に撮ったことになる。奈良から乗ってきた京都行き出発。キハ40の2連だった。万国旗が旗めいているのも電化祝賀のためだろうか。

 

さてリニア新幹線の基本計画ではJR東海や国が奈良付近を通るとしているのに対し京都府・市などが京都へ通すように運動している。第一次着工となる東京~名古屋間は山梨や長野県南部を通ることが本決まりとなっているがそれで静岡県が横槍を入れるという話を聞かない。京都を通らないことはそれほど打撃的なことだろうか。京都とともにもう一つの古都として歴史に名を残す奈良は今のところ東京から直接アクセスできる手段がない。京都に今以上の交通機関の集中させることは京都・奈良の地域格差をより大きくさせるだろう。今日奈良線は電化され一部複線化されて列車本数も増えた。今後さらに複線区間を延ばす計画もあって奈良線はまだ伸びしろがある。奈良京都間は高々41.7kmで、京都大阪間42.8kmに新快速が30分以内で走っていることを考えればさらにスピードアップも可能だろう。今日ここまで発展した奈良線を将来さらに発展的に利用すればリニアを京都に通すことは必須でもないだろう。私も京都人の一人ではあるが古い写真を見てふと思った。