前回の記事に揚げた近鉄電車展の案内チラシに描かれている戦前の大軌路線案内図の中に「新法隆寺」~「平端」間の路線があるのに気付かれた方もおられよう。これは確かに戦前まで大軌の一路線として存在した法隆寺線で、元を辿ると「平端」~「天理」間と合わせて1915年に開業した「天理軽便鉄道」の路線だったものである。開業後6年で西大寺から南進してきた大軌に合併吸収され大軌の路線となった。しかし軽便鉄道規格で敷設されていたのでそのままでは大軌と直通できない。吸収後大軌は平端~天理間について改軌、電化、複線化させて直通可能にしたが残る新法隆寺~平端間は改修することなく残置し「大阪電気軌道」を名乗りながら未電化ナローゲージの路線だった。輸送力は小さく第二次大戦末期運行休止となり戦後そのまま廃止された。今回この区間の廃線跡を探索してみた。
池の中にある築堤と橋台跡
農業用水のため池になっている木戸池内にはっきりとこのような路線跡がある。草生していて通行しにくいが西側部分(画面左手)は立ち入ることができた。池の片隅に線路跡であることを示す案内板が建っている。ここまではわかりやすいのだが。
農業用水のため池になっている木戸池内にはっきりとこのような路線跡がある。草生していて通行しにくいが西側部分(画面左手)は立ち入ることができた。池の片隅に線路跡であることを示す案内板が建っている。ここまではわかりやすいのだが。
安堵町歴史民俗資料館内
木戸池から先集落の間を縫って現県道109号線に出たようだが明確な痕跡は残っていない。県道を1kmほど歩いて少し入ると昔の豪邸を改修した「安堵町歴史民俗資料館」がある。入場料200円、休憩を取るにも好適な場所だ。その一角に天理軽便鉄道に関する資料もある。この近くにあったと言われる安堵駅の復元模型が展示されている。このような単端式の小型ガソリンカーが走っていたらしい。展示案内によると全長約6m、定員30名ではマイクロバス並みだ。
木戸池から先集落の間を縫って現県道109号線に出たようだが明確な痕跡は残っていない。県道を1kmほど歩いて少し入ると昔の豪邸を改修した「安堵町歴史民俗資料館」がある。入場料200円、休憩を取るにも好適な場所だ。その一角に天理軽便鉄道に関する資料もある。この近くにあったと言われる安堵駅の復元模型が展示されている。このような単端式の小型ガソリンカーが走っていたらしい。展示案内によると全長約6m、定員30名ではマイクロバス並みだ。
このあと路線跡は現西名阪道に沿って東北東に進むことになるがもはや何も痕跡はない。県道109号線との交差点から約400m東方で進路は南東方向に替わり西名阪道の南手に出ることになる。そこにはサッポロ一番の工場が建ち路線はその敷地内を通っていたことになる。