名鉄瀬戸線の今

ずいぶん昔瀬戸線の特急に乗った(39年前)
⇛ 名鉄の古い写真 3.こんな特急もありました - awatembowの日記 (hatenadiary.com)
その後沿線で写真を撮ったりしているが
⇛ 80年代の名鉄 22.地上駅時代の瀬戸線森下 - awatembowの日記 (hatenadiary.com)
それから再び乗車する機会が全くなかった。

 

それ以来私の頭の中で名鉄瀬戸線の印象は本線からお下がりの赤い釣掛け式電車の寄合いというイメージだった。今回実に久しぶりに乗車。印象を某鉄道某線と比べながら見てみよう。

 

名古屋駅から地下鉄で大曽根へ出てそこから乗り換え。
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地下鉄名城線も昔はこの大曽根終点だったなあ。そして名鉄駅と言えば国鉄駅の片隅に遠慮したように建っていた地上駅だったがいまや高架駅でJRをまたいでいる。十三を出た阪急宝塚線JR貨物線をまたぐように。来た電車はこんな顔、急行瀬戸行き。

 

小幡
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向うからも同じ顔の電車が。ここを過ぎるあたりから曲線や踏切が多くなる。なんだかひところの阪急宝塚線だ。

 

印場通過
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立派な駅ができたなあ。でも急行は通過。なんか宝塚線急行で曽根駅を通過するような感じだ。ここにも同じ顔の電車。

 

尾張旭
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線内随一の中間駅でもちろん急行停車。ここからは急行もすべて停車する。宝塚線豊中みたいなものか。しかし数年前この駅に近接して新たに車両区が設けられこの駅までの区間列車も設定されそのための折り返し線もある。ある面雲雀丘花屋敷のようでもある。停車している区間運行の普通もまた同じ顔。

 

新瀬戸
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もう瀬戸市内である。ここでは愛知環状鉄道をアンダークロスしており乗り換えれば高蔵寺、豊田、岡崎などへと行ける。宝塚線にはそのような駅はないがかつて川西能勢口能勢電鉄国鉄駅前が始発駅で同駅で阪急と接続してから妙見口方面へ向かっていたのである意味交差していたと言えなくもない。しかしかなり形態は違うなあ。まあさしづめ宝塚市内に入った宝塚線売布神社の先で中国縦貫道をアンダークロスしているようなイメージか。出会ったのはまたまた金太郎飴のように切っても切っても出てくる同じ顔。

 

ほどなく終点尾張瀬戸。そこにも同じ顔が停まっていたがもう撮るのはやめた。いつの間にか少し山間の街にやってきたのだが名古屋都心から1時間もかからず到着し都市圏の一端というイメージのほうが強い。瀬戸といえば瀬戸物の産地として全国に名を知られている。そういえば宝塚も少し山間ではあるが大都市通勤圏内であり一方でタカラヅカが歌劇の代名詞となっているほどその名は全国に知られている。そんなこんなでどこか阪急宝塚線とイメージがダブる名鉄瀬戸線を乗り終えた。

 

しかし瀬戸線の車両はというと今やすべてがVVVFインバーター制御の4000系に統一され乗客にとって快適になったのは確かだ。それでも阪急宝塚線は大同小異ながら今も車両形式の変化の妙を楽しめることを思えば瀬戸線に味わいのある車両が見られなくなったのは鉄道ファンとしては寂しい。

 

2014.6.1 乗車