京阪の急行を振り返る

前記事のように先日のダイヤ改正により京阪では日中時間帯の急行が姿を消した。かつて特急の停車駅が少なく準急の運行が限られていたころは急行が一番身近な存在で沿線のどこへ行くにも必ずと言ってよいほど乗った種別だ。そんな当たり前すぎる存在だった急行を意識して撮影することがあまりなかったのが今となっては悔やまれる。ただ乗車のついでにスナップ的に撮った写真が残っている。そんな中からいくつか拾ってみよう。

 

5000系
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登場して今年で45年になるがデビュー時はそのフォルムがセンセーショナルだったもので3扉使用時は座席数が多いゆえ急行に使われることも多かった。
2006.3.9 伏見稲荷

 

6000系
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急行の写真としてはやはり6000系のものが一番多く残っている。これは6013編成だが樟葉駅前の高層マンション分譲中の広告塗装車になっていた。
2001.12.8 中書島

 

7200系
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中之島線開業を機に新塗装化が始まった頃で、新塗装を見たのが珍しくて撮ったように思う。今見るとむしろ中之島行き急行があったということに驚く。これは2009年1月2日撮影で正月ダイヤだったということがあるが、平時でも中之島行きの快速急行が運行されていたころで新線への期待は大きかった。
2009.1.2 中書島

 

9000系
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1997年登場時は特急運用がメインで時々急行にも入っていた。同じ車両なのに急行として乗るときはラッキーと思ったが特急として乗るときはアンラッキーと思った。やはり特急にはそれなりの設備を期待する。来年京阪特急にも座席指定車が導入されるようだがそうなると特急はすべて8000系で賄うのだろうか? 
2006.5.14 伏見稲荷

 

8000系の話題が出たところで
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急行に使われていた8000系が淀屋橋に到着して降車扱いを始めたところ。方向幕が変わらぬうちにと急いで撮った。急行使用時はおそらくTVは使用されていなかったのではないか。
2004.1.6 淀屋橋

 

JRもはまなす廃止によって急行は絶滅したし京阪はじめ各民鉄でも急行運用の減少が続く。急行という言葉が歴史めいてきた昨今である。