Nゲージジャンク スハニ33?

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本日たまたま通りかかった京都市内の古道具屋で見つけたNゲージ車両。奇妙な形態に目が行ってしまい思わず購入。現物のみで元箱なし300円だった(下の線路は家にあったもの)。

 

一応Nゲージ線路上で使えるがよく見ると車体の歪み小さい傷あり、古い製品のようだ。形はどうみてもクラシック米国型だが米国型にしてはショーティな印象。日本の車両には見えないがどこかオハ31系を思わせる。車体レタリングはスハニ33 5なんて実在しなかった形式になっているが日本で販売されたものには違いない。どこのメーカーの製品かと床下を見たら BACHMANN HONG KONGと刻銘されている。

 

BACHMANNといえば最近はHn30やGゲージなどの大型の模型を主流に製造しているがかつてはNゲージ製品も多く出していた。1970年代前半までは日本のNゲージメーカーはKATOだけであり製品ラインナップも少なかった。そのため外国製の欧米型製品のほうが豊富であったが西ドイツやイタリア製のものは高級品で手が出なかった(1ドルが300円前後だった頃の話)。そんな中で玩具メーカーのトミー(現在のタカラトミー)が香港の模型メーカーであるBACHMANN社製品の輸入を取り扱った。当初は輸入だけでトミー自身が製品を手掛けることはなかった。車両は主に米国型中心だったが香港製品ということで安価(ともすれば日本製品より安く)に手に入れることができたのでとにかく手っ取り早くNゲージを始めたい向きには購買の対象となった。

 

とりあえずNゲージを買って走らせてみたけどなじみのない外国型では親しみも湧きにくい、そんな声がトミーに届いたかどうかはわからないが1975年頃トミー自身が日本型製品を売りだすことになった。といってもBACHMANNに製造させたものをトミーブランドで販売するというものだった。最初の製品は国鉄ED75だった。今見るとおもちゃのような代物だが当時のファンにはそれまで出ていなかった形式で珍重された。
ここで思いだした。ED75を出したばかりのトミーが日本人向けのNゲージ・スターターセットも出すことにした。機関車はあり線路・パワーパックもBACHMANN製品で間に合わせたがいかんせん日本型客車がない。そこで苦肉の策としてBACHMANNが作っていた米国型客車(確か3両)に国鉄青15号色をまとわせてセットに組み入れてお茶を濁した。今日入手したのはそのような経緯で世に出た日本鉄道模型史の一こまを飾る資料ともいうべきもの(けっしてビンテージ物ではないだろうが)。

 

その後トミーは自前の工場で日本型車両を作りだしTOMIXブランドで市場に送った。見る間に技術レベルは格段の進歩を遂げKATOと双璧をなす一大鉄道模型メーカーの地位を不動のものとし今や海外へ輸出され日本の鉄道車両をかの国の人たちに理解させる一助にもなっている。この40年の鉄道模型界の変化を見て隔世の感を覚えるものである。