When I’m sixty-four

このたびブエノスアイレスで行われたIOC総会で2020年夏季五輪開催地が投票の末東京に決定した。

 

When I get older loosing my hair, seven years from now~♪
2020年には私は64歳、もはや老境の域に達しておることだろう。しかし8歳の時に見た第18回大会に続き56年ぶりに生涯でもう一度東京で見られるとは思っていなかった。招致委員会関係者の人が長い間待ち続けたと言っているがそのような機会が得られるのは奇跡に近いのではないか。1948年に第14回大会が行われたロンドンに再び五輪がやってきたのは64年後であった。それに比べれば東京は早いではないか。

 

子供の目で見ても先の1964年大会の興奮は鮮明に覚えている。当時の開催地決定によって日本は第二次大戦からの復興の段階から高度経済成長の段階へと移行しその変化ぶりは目を見張った。開催に間に合わせるべく会場の建設、その他のインフラ整備、国民の所得の増加による購買力の向上により広くいきわたったTVで五輪の中継をお茶の間で見届けることができた。国民の期待に各種目の選手たちも奮闘して多くのメダルをもたらした。とはいえその当時もメダル量産国は群を抜いて米国でいくつもの表彰式のたびに流される米国国歌のメロディーをそのときすっかり覚えてしまった。そのことは日本国民に上には上があるものだと知らしめ、スポーツだけでなくいろいろな分野でいつの日か米国に追いつこうという意識を高めた。

 

当時の大会を振り返り今「夢よ再び」の思いで今度の五輪を招致しようとした人がいることを否定はしない。しかしもっと大きな志を持ってもいいのではないか。近年「2位ではだめなんですか?」などという政治家が現れるようにともすれば(良い意味での)闘争心を我々は忘れがちになっているのではないだろうか。そのようなことを言っている間に数年前GDP世界第2位の座を中国に明け渡した。このままだと人口や資源を豊富に擁する他のBRICS諸国の追い越しをも許してしまうことになりかねない。今我が国は追う立場なのである。そのことを国民に根付かせこの先7年間のモチベーションを高める機会としたい。そしてその一員として7年後の我が国をこの目で見たいと思う。

 

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1964年大会時の記念ワッペン