2006-06-01から1ヶ月間の記事一覧

豊橋鉄道豊橋市内線

路面電車の終点で待ち合わせしたよねあの日も リュックサックに胸いっぱいの伝えたい気持ちを詰め込んで (渡辺美里-跳べ模型ヒコーキ) この歌の路面電車の駅がどこなのか気になっていた。別に実在でなくてもいいわけだけど、そういうことが気になることが…

橋の上から

滋賀から京都南部を流れる宇治川にかかる京滋バイパス宇治川橋梁には歩行者も通れる側道がある。そこから河流を眺めると高いだけに遠くまで見通せる。昔からある宇治橋からの眺めよりも美しい。川面からの高さは30mはあろうか。遠くを見通すのは絶景であ…

伊勢鉄道

昭和40年代後半に国鉄伊勢線として作られた路線だったが乗降客数が少ないとの理由で国鉄末期に廃止対象路線にされてしまいJR化されることなく三重県などが出資する第3セクターに転換された。しかしこの路線の存在価値は四日市と津の間をスイッチバックせ…

6月は学会シーズン②

今日もまた雨ですね。1992年6月6~7日に倉敷で行われた学会も雨の日でした。屋内でお勉強するのだからその方がいいわけだが、天気に関係なく鉄ちゃんの虫は騒ぎ出す。7日午前の部が終わり残るは午後からの講演だけとなったが、講演は総論的なもので…

6月は学会シーズン

鉄ちゃんのチャンス。知人の結婚式、そしてもう一つ学会参加。特に医学関係の学会は6月に開催されるものが多い。私もかつてはあちこちの関連ある学会に顔を出したものだ。日程は土日がらみで2~3日間行われるのが普通。特に3日もあるとそのうちの半日ほ…

紫電改のタカ

昭和30年代後半になっても少年雑誌に戦争モノ漫画が載っていた。身の回りの大人が第二次大戦の記憶を語ることが多かったしその現場に居合わせなかった子供でもどのような時代だったか思い描くことは出来たしその当時の世相はまだ戦争を引きずっている延長…

雨ニモマケズ乗りつぶし

「そうそうこの区間も未乗だった」そう思って地下鉄桜川駅に向った。行く先は恵美須町。阪堺線の恵美須町~今池間もまだ乗っていなかった。この際乗りつぶしだあ。地下鉄堺筋線を降り人影もまばらな阪堺線恵美須町ホームに立つ。浜寺駅前行きに乗る。晴れだ…

梅雨時の乗り鉄

以前南海汐見橋支線の記事を載せています. ⇒1980/南海汐見橋支線 - awatembowの日記 (hatenadiary.com)これは1980年に乗ったときのことですが、このときの乗車区間が芦原町から岸里までで芦原町~汐見橋の一駅が未乗のまま残ってしまいました。乗る機会…

梅雨時ですので

梅雨に入るとどうも鉄道に脚が遠ざかりがちです。この時期鉄道がらみのイベントは少なく臨時列車の設定もあまり多くないのもあるでしょう。そんなせいで梅雨時に撮った鉄道はあまりありません。何かのついでに撮ったという写真ばかりであまり気合が入ってな…

バカの村?

今日はサッカーWカップはクロアチア戦ですね。相手のクロアチアってどんな国なんでしょうね。ひところ続いた内乱も収まって今は穏やかな国のようですね。 この国に「バカの村」があるそうです。いえ地名ですよ。日本語表記は一般に「バカル」とされてますが…

階段を降りた先は…

その手前には用水路が流れてます。無錫やベニスならありえますがここには船は通りません。水量も少ないですから。 京都市東山区

京阪10000系増備車

4月に10000系の第4~6編成が入線したのだが、なぜか地元宇治線には入ってこず交野線ばかりで走っていた。実は5月27日JR三山木まで行った日にその脚で河内磐船へ行き交野線に乗り換えて新しい10000系に乗れるのを期待していたのだが残念な…

そして大川支線

目指したのは当然大川支線。当時すでに貴重だった17m級国電クモハ12052を見に行った。だがここはJR化後も首都圏最後の旧型国電として1996年まで生き残った。それというのも武蔵白石のホームが急カーブで17m車しか入れなかったからだった。曲…

1980/鶴見線の旧型国電

結婚式に出席した知人を3年ぶりに訪問。その帰路途中鶴見線に乗っている。昼下がり鶴見駅にのんびり停まっていたのは73系の海芝浦行き。がらがらの電車が着いたのはあの東芝関係者以外降りられない終着駅。今のような小公園もなくホーム一本だけ。降り立…

1977・都電荒川線

話は前後しますが1月29日の朝ドリームで東京に着き、知人の結婚式出席で横須賀へ向うまで時間があるので都電を乗るため寄り道してます。夜行バスに乗るときはラフな格好だったと思いますが、着替えの礼服を持ってブラブラしていたのでしょうか? はっきり…

1977/東横線桜木町

みなとみらいはおろかまだ横浜スタジアムも出来ていなかった頃の話(大洋ホエールズの本拠地は川崎球場だった)、地下鉄で関内まで行き界隈をぶらついた後桜木町まで歩いた。あまり人ごみというものを感じなかった。桜木町もこじんまりした駅だと思った。1…

初期の横浜市営地下鉄

横浜市営地下鉄は1972年に上大岡~伊勢佐木長者町が開通しているが、1976年にその両端が延伸されて上永谷~横浜間となった。京急を上大岡で降りて開業間もない延伸区間に乗った。実は目的地は関内だったが一旦上永谷まで行ってみた。上永谷は地上駅だった。…

1977・京急上大岡にて

ちょっと関東の電車を。まずは京浜急行。京急は創業以来省線・国鉄・JRとのデッドヒートを宿命付けられ阪急・阪神・京阪を見慣れた者としてもなんとなく注目したくなる存在です。「駅の名前、ソラで言えるの。赤い電車は白い線。I came from 横須賀~、…

特急車だったころの阪急京都線2800系

1975年に6300系が登場しその後も増備され、次第に特急用として幅を利かせ始めた。それまでの特急用だった2800系も無料特急としてはハイレベルな車両だったが6300系と比べられては違いは歴然としていた。翌1976年には特急は全て6300…

湖林博物館所蔵・李朝陶磁の名品

滋賀県の佐川美術館で今月25日まで開催中の特別展である。ソウルにある湖林美術館の持っている陶磁器のうち李朝(朝鮮王朝)時代に作られたものを主としてある。だから高麗青磁が来ていないのは少し寂しいが、それでも粉青沙器の中には象嵌青磁の流れをく…

国鉄尼崎港支線

昨年4月25日の脱線事故の現場となった電車の突っ込んだマンションのところは元々線路があった。脱線した電車は手前から始まる曲線で曲がりきれず横転したのだが、あの部分が実は分岐部でそのまま直行する線路がかつて存在したのだ。否、福知山線が東海道線と…

1976年京都で見た湘南色

JR東日本の東海道口から113系が引退したのにあのオレンジと緑のツートンを今も湘南色というのも不思議な気がします。でも西日本の113系はずい分いろいろな色に塗り替えられましたがそれでも湖西線や山陰線に湘南色は残っています。80系以来50年以上ここま…