2005-06-01から1ヶ月間の記事一覧

今日は6月30日、水無月を食べました。

京都市北区に氷室という地名があって、昔そこに大きな石窟があった。その中は夏でもひんやりして天然の冷凍庫だったという。冬に取った氷をその中に入れておけば夏でも解けることがなく保存できた。京の公家・貴族たちはここに冬に取ってきた氷を入れておい…

月光

仮面のおじさんは正義の味方よ よーい人よ。 昔こんな列車があったのだ。世界初の寝台電車なんて宣伝されてね、どんな乗り心地かと期待に膨らませたな。でも新大阪~博多間ではちょっと短くてゆっくり寝てられない。 そういえば戦時中月光という偵察機が作ら…

桃李言わざれど…

この中国の格言、日本ではスモモというものがあまり見られないので今ひとつイメージが沸きにくいが、梅のやや大ぶりな実と思えばよい。同じような香りと言われる。 親戚の農家から梅酒につけるための実をたくさん送ってきた。箱から開けると甘い香ばしい香り…

ED72 2号機

1976年4月4日 小倉駅にて 列車を待っているときに突然やってきたのがこれ。旅客用のED72が貨物を引いてやってきた。しかも寄り目の試作機である。見たのはこれが最初で最後だった。この写真をとって約3ヵ月後同機は廃車となった。

マグマ大使

昔の人気漫画は必ず朝日ソノラマという会社からソノシート(もう死語だね)が出ていた。大抵A面に10分程度のドラマ、B面に主題歌と副主題歌が収録されていた。親にねだったり少ない小遣いで買ったものだ。私の子供時代のインパクトという点で手塚治虫の漫…

「いい加減」という言葉

「いい加減」というのはおもしろい言葉である。将軍は元来諸事に「こだわる」性質ではなく大雑把に済ませて事足れりとしてきた。またどうも「がんばる」という言葉が好きになれずそこそこ遅れをとらぬ程度に生き抜いてきた。それらをもって人は「いい加減」…

下津井電鉄

瀬戸大橋開通で追い風になると思いきや交通の流れの大変化で大橋開通の3年後にあえなく廃線。大橋開通時「メリーベル」というオープンデッキの車両を投入して客を呼び込もうとするもかなわず。のどかな町に走っているからこそ意義があったのか。大橋やその…

今日も無難に勝った

交流戦も最後のカードを残すばかり。最後はインボイスでの西武3連戦。今日の第一戦は4-0とビジターとは思えない完封勝利。井川も戻ってきて一発を食らうことなく6回を投げた。まあ頭を冷やしてきたようだ。なんと行ってもエースなのだから自覚を持ってこ…

殿様・中村は「甘えん坊将軍」…腰痛で別メニュー

慌てん坊将軍サッカーはあまりよく知らないのだが、中村俊輔の名前くらいは知っている。夕刊フジによるとその中村が「甘えん坊将軍」だと言われている。それはいかん、将軍は私だ!彼はキックの得点力を買われてジャパン代表に選ばれたのに最近どうも芳しくな…

二日遅れになりましたが

時の記念日にトケイソウの花の画像を載せようとしたけど適当なのが見つからず諦めてました。でも今日近所を散歩して咲いているのを見つけ、たまたまカメラを持っていたのを幸い撮ってきました。川べりに咲いているのですがまさかブラジル原産の植物が自生し…

奈良線を走る特急形車両

桃山駅の前で全く偶然出くわしたものです。1985年3月東北方面で余剰になった485系を紀勢線くろしおに転用することになり大量に同系の回送移動がありました。一部中間車が先頭車に改造されたものもありました。ここに写っているクハもそれだと思いま…

夕焼けの詩

昭和30年代へのレトロ趣味のブームが続いている。テーマパークや食堂街で町並みを再現する。その当時の食べ物やおもちゃを復活させる。自動車のデザインに当時のスタイルを一部取り入れる、etc。今の日本経済の成長の鈍化、社会の閉塞感、価値観の変化と世代…

愛宕山鉄道廃線跡

京都「京福嵐山」からその北西にそびえる愛宕山に向かってかつて鉄道が延びていた。清滝までの平坦線と愛宕山を目指す鋼索線があった。どちらも昭和4年に開業したものの第二次大戦に入って鉄供出のために昭和19年廃線となった。廃止になってもはや60年…

湖西を走るサンダーバード

湖西線というのは面白い路線である。乗っていると車窓から目が行くのは琵琶湖ばかりなのに撮影となると琵琶湖を入れて撮れるところはあまりない。だからどうしても比良山系が写る写真が多くなる。 昔江若鉄道が走っていた頃は白鬚神社の前あたりは琵琶湖のま…